「森に火を放ったのは、その方らか」
ほたるは白刃の群れに臆することもなく、凛と武士達に言い放ちます。
「熱かったぞ、おぬしら」
ほたるは静かに右袖をずらし、たくし上げます。手首から肘にかけて大きな火傷の引きつりが覗きます。
低い唸り声、甲高い啼声が窪地を震わせます。窪地を囲む獣達が肉食獣、草食獣を問わず一斉に歯を剥き出して唸ったのです。
武士達は抜刀したまま視線を左右にさ迷わせます。
ほたるは右腕を半ば中空に差し出し、背面の獣達の唸り声を静めます。
「我らはこの森にて互いに狩り、狩られる間柄じゃ。しかしおぬしらは同族同士のつまらぬ内輪もめに我らを巻き添えにした。我らの大勢がおぬしらの放った火により滅んだのじゃ」
ほたるの視線は武士達の一人一人の目を睨みながら舐めて通ります。
「昨年火を放たれてより一年のこの日、生き残った我らはこの逢う魔が刻に集い意を一つにしたのじゃ」
ゆっくりとほたるは胸の前で腕を交差させます。
ほたるのその動きに周囲を取り囲む獣達が一斉に後ずさりします。
「つぐないを払ってもらう。おぬしら大徳寺家の者共よ・・・」
次の瞬間、ほたるは大きく左右に腕を開きました。
「滅びよっ!」
ほたるの叫びと共に背部より突風が巻き起こり紅葉を舞い上げ、その赤い木の葉の群れが花吹雪のように武士の群れへと襲いかかりました。同時にほたるの足元のネズミの群れが一斉に武士の群れへ向かって走り出したのです。
風に乗る炎の色の木の葉は武士達の顔と言わず身体と言わずにぶつかりました。
思わず彼らは刀を振り回して襲いかかる葉を斬ろうとします。
「目くらましじゃ! 木の葉に気を取られるでない。獣共が襲ってくるぞ!」
隊列の指揮を執る手だれの武士が一同を叱責し、刀を正眼に構えたまま獣達を見据えます。
が、獣達は皆佇んでいる地点から一歩も動こうとはせず、じっと人間達を見詰めているのです。ただ赤い眼をしたネズミの大群が同じ色をした木の葉の後を追って人間達の足元を駆け抜けていっただけでした。
赤い突風は血のしたたりのような落葉の跡を残しながら一直線に大徳寺の館の方角へと去ってゆきました。その赤い軌跡は、嫁入りの列の旅立ちの際に降ったにわか雨が残した道筋でもありました。
そしてこの窪地に静寂が戻ってきたのです。
武士達は顔や身体に紅葉を貼り付けたまま呆然と互いに顔を見合わせていましたが、すぐと我に返りほたるに向けて一斉に刀を構え直しました。
指揮の男が嘲りをほたるに浴びせます。
「今のはなんの戯れ言じゃ! 何ともないぞ」
が、獣達は微動もせず息をひそめ窪地を見おろしています。人間達と獣達の視線を浴び、ほたるは呟くように語りました。
「・・・わくらば」
「なにっ!?」
指揮の武士が吼えた時でした。群れの中の一人が突然悲鳴を上げたのです。
「熱い、熱い! 身体が焼ける!」
その男は顔や身体に付いた紅葉を狂ったように払い落とし始めました。
「どうした!」
と振り返り叫んだ指揮者はすぐ自分の身体にも始まった異変に気付きます。
全身の至るところから激しい痛みが沸き起こり、体表の熱さと共に身体の奥から悪寒が貫きます。頭は割れるように痛み、のどの奥で炎が膨れ上がったように息が出来ません。
既に何人もの武士が地面に倒れ、ある者はのどを掻きむしり、またある者は紅葉の散る黒い土に指を突き立ててもがいています。
「貴様! 何を・・・」
指揮の男が刀を地面に突き刺し身体を支えながら全身を震わせ、ほたるをねめつけます。その顔は既にどす黒く変色しています。歯を食いしばったその顔をほたるは静かに見詰めます。
「きえーっ!」
突然、男は刀を地面から抜くやほたるに振りかぶり仁王立ちになりました。
その瞬間、輿から飛び出した貴更が一動作で倒れていた武士の刀を引き抜き、真横から指揮の男の腹へと刀を振りかぶります。
「貴更様! おやめ下さい!」
ほたるの鋭い叫びが貴更の動きを止めます。
同時に動きを止めた男がほたるの視線を追い、のろのろと自分の横を向きます。
横腹から五分の位置で胴薙ぎのかたちで止まった刀と、それを構えた貴更の姿を見開いた目で認めると、男は貴更にうめき声で吐き捨てます。
「この、売女がぁっ!」
白目を剥き出しにした男の、それが最後の言葉でした。
刀を握ったまま、男はその場に崩れ落ちました。
動きを止めた武士の群れの上にしんとした窪地の静寂が戻ってきました。
窪地を見おろしていた獣達は、武士達の様子を見届けると身を返して森の奥へと戻ってゆきました。木々に群れていた鳥達もいつの間にか姿を消し、窪地に残されたのはほたると貴更の二人だけです。
赤い木の葉の散る黒い土を踏んで、ほたるが貴更の前へと歩み寄ってきました。
「おひさしぶりです、貴更様」
ほたるは貴更の前で立ち止まり語りかけます。
「無事だったのじゃな。会えて嬉しいぞ、ほたる。だが何をしたのじゃ」
貴更はほたると変わり果てた武士達の姿へと交互に目を向けます。
「森の者達の怨みを果たさせていただきました。大徳寺家の者への森の者達の怨みです。お館でも今、同じことが起こっております。お許しください」
ほたるが呟き、貴更の前で深く頭を下げます。
「死んだ・・・のか?」
貴更が生唾を飲み込む音がほたるにも聞こえました。
「はい。私の手で殺しました。お供の侍も、お館の家臣の方々も、そしてお館様も私が殺しました」
ほたるは下げていた頭を戻し、貴更の目を真っ直ぐに見詰めます。
「おまえが!」
貴更は手に持っていた刀を音を立てて握り直します。
「父上もあのようにか」
首を廻し、貴更は物言わぬ武士達の亡き骸へと目を向けます。
貴更は目を戻し、無言のままほたるの瞳を見詰めます。が、刀を握った手は白くなる程にきつく力がこめられ、細かく震えています。
ほたるは静かに佇み、貴更の視線を受けます。
「私も大徳寺の者じゃ、なぜ殺さぬ。それと、なぜ先ほど私を止めた」
ややあって貴更が問います。
「先ほどお止めしたのは、貴更様に同族殺しをさせる訳にまいりませんからです。これは私達森の者と大徳寺家との間の問題ですから。それに・・・私には貴更様を殺せません。お家を滅ぼした私については貴更様のお心のままに」
応えるとほたるは深くうつむき、首を差し伸べたまま佇みます。
襟から伸びるほたるの白いうなじが黒髪の下に覗き、貴更はそれと手の中の刀とをしばし見比べます。
深く溜息をつき、貴更は刀を倒れた武士のかたわらに投げ捨てます。
「よく私を止めてくれた。ほたる、礼を言う」
ほたるはゆるゆると頭を戻します。
「貴更様があの男を斬って私を助けて下さろうとしたこと、とても嬉しいです・・・でも、私は貴更様のお家を滅ぼしたのですよ」
怪訝げなほたるへと、貴更はやるせない笑みを向けます。
「よい! お前がやらなくても、いずれ私がやっていた」
檸檬児
'2002-11-10