華美な傾奇いた着物や刀剣は一切身から奪われ、奥座敷で貴更は厳しい監視の元に行儀見習い、和歌の修業を強いられる生活が始められました。
障子を上げて屋外を覗くことも禁じられ、貴更の肌が日に晒されることもなくなりました。
同時に望月の女間者が館に潜入していた事態を受け領内の見回りが強化されましが、しかしそのことが思いも寄らぬ結果を呼びました。
望月との国境の広大な森の中に既に敵軍の先攻隊が潜入していたことが忍びの者の手により分かったのです。その数はわずか十名ながら全員が鉄砲で武装していたとの報告でした。
緊急軍議がもたれ、彼らを殲滅することとその勢いに乗じて望月の本国に逆に攻め入ることが決議されました。さっそく菊地家への援軍要請の早馬が放たれ、翌日の森攻めの手立てが練られました。
翌日、唯一の生活の場となった奥座敷での朝の行儀見習いの途中で貴更は屋外からの異様な音に気付きました。遠くで大量の木が炎にはぜるバチバチという音がみるみる広がり始め、空気にかすかにキナ臭い香りさえ混じります。
「なんじゃ？ あの音は」
手を止めて腰を浮かせた貴更の問いに、座敷の隅に侍っていた監視の武士が応えます。
「山焼きでござる。望月のネズミめを燻り出そうとの」
「何じゃと！？」
貴更は立ち上がると制止する閑もなく窓辺に駆け寄り、小さな覗き窓の障子を引き開けました。
一目で国境いの山腹に広がるその異様な山焼きの状況が分かりました。
貴更は知りませんでしたが、昨日から今朝にかけて館の倉と領民達の間を駆け回って大量の菜種油が調達されていたのです。それをおびただしい松明に染ませ、早馬に乗った一隊が国境いの山から割り込んだ大きな谷間を覆う深い森の周囲を駆け、火のついた松明を一定間隔ごとに蒔いて行ったのです。
晩秋の枯草と枯葉の堆積は乾いた空気の中で容易に火が移り燃え広がり、やがて炎の点と点とが繋がって森を円周状に取り囲んだ橙色の帯となりました。
燃え上がる炎は周囲から吹き込む風を呼び、巨大な橙色の帯は中心へ向かって焼け進んでいったのです。
「何をしておる！ 気でも狂うたか。あれでは森のものは全滅ぞ！」
窓から見えた光景に目を見開き、貴更はやにわに座敷の出口の襖に向かって駆け出します。
が、間一髪で追い付いた監視の武士の屈強な腕が貴更を後ろから抱き留めます。いくらもがいても鉄のような腕は微動もしません。
「離せっ！ えぇい、離せ！ ほたる！ ほたるーっ！ 逃げよ。逃げるのじゃ！」
貴更はかかえられたまま小窓に顔を向け、ほたるの名を絶叫します。
「えぇ埒もない。姫様、御免！」
武士がその言葉を吐き捨てたと同時に、杭のような当て身が貴更の鳩尾にめり込み、瞬時に貴更は畳の上へと意識を失って崩れ落ちました。
炎は丸半日燃え続け、外周を輪のように取り囲んだ武士や雑兵は武器を構えつつ炎の帯の跡を追って、その輪を縮めてゆきました。
中心に近づくにつれ、追いつめられた獣達の焼け爛れた死体が黒焦げの土の上に目立ち始めました。
そして炎が燃え切った中心部に、夥しい獣達の焼死体に混じって十名の人間の変わり果てた死体が見つかったのです。
その日の戦果に沸き、望月本国へのいくさの準備に慌ただしい大徳寺の館の奥座敷で、貴更はぼんやりと小窓からかって森があった山肌や谷間に目をさ迷わせていました。まだ煙が立つそこには墨を垂らしたような一面の黒が見えるのみでした。
「これでは花が咲かんではないか。花が散らんではないか」
うわ言のように繰り返す貴更のその言葉を監視の者は戯れ言と聞き流すのみでした。
この日から貴更の毎日は命じられるままの花嫁修業を静かにつとめるのみとなったのです。
奥座敷の外では望月軍とのいくさの一進一退や菊地家との交渉で慌ただしい日々が過ぎておりましたが、この部屋の中には貴更がただただ毎日の稽古事を静かに繰り返すのみの別世界が広がっていたのです。
その間にも菊地家との連絡は密になり、来年に貴更が側室として輿入れする合意がなされました。それまでに貴更の嫁入り修業を仕上げねばなりません。
猛々しかった言葉遣いも厳しく抑えられて久しく、物腰もたおやげに変わり、今やわずかに箏をつまびくことが貴更の唯一の気晴らしとなり、季節は冬へと移って行ったのです。
檸檬児
'2002-11-10