既に日が落ちて久しく、部屋は行灯の明りのみで照らされて暗く、下から見上げると俯いたほたるの顔は前髪に明りを遮られてよく見えません。ただその大きな瞳がちらちら光っているのが分かるのみです。
「話そう」
ややあって貴更は言葉を吐きます。
「私が父上を襲った刺客を斬り、鬼姫と呼ばれるようになって暫くの事じゃ。私は狩りを始めたばかりじゃった。兵衛門達を連れて森に狩りに行くとしばらく姿を見せていなかったあのキツネがもうすっかりおとなになって子ギツネを２匹連れて私の前に現れた。私には一目でそのキツネが昔の遊び相手だと分かった。見事な毛並みじゃ、お殿様も喜びますぞ！ と兵衛門は私をけしかけた・・・」
貴更は膝の上で激しくかぶりを振ります。
「いや！ あ奴からけしかけられたから射たのではない。私は鬼姫でなくてはならなかったのじゃ。獣と遊ぶ子供の貴更はもう居てはいけないのじゃ！ 殺すつもりはなかった、もう来るなと追い払うつもりで私はキツネに向けて弓を引き絞った。なのに奴は逃げんのじゃ。真っ直ぐ私を見詰め続けるのじゃ！」
ほたるは真っ直ぐに貴更を見詰めて聞き続けます。
「そこで本気だと知らせるために、矢を子ギツネの方に向けたのじゃ。その瞬間、奴は子ギツネの前に飛び出した。子を守ろうとしたのじゃ。私は奴の動きに驚いて矢を放ってしまった」
ザアと障子の外から葉擦れの音が響きます。
「矢は奴の肩口に刺さり、刺したまま奴は子ギツネ共を走らせて森の奥へと逃げて行った。兵衛門は、やあ残念、残念と私を嗤いおった・・・その時以来、あのキツネには出会ってはおらん。無事でおればよいのじゃが」
溜息と共に貴更は言葉を切ります。
檸檬児
'2002-11-10