「ほたる、おまえの膝は気持ちがいい」
髪をすかれながら、貴更はつぶやきます。
「子供の頃の話じゃ。秋の今の時分になると谷間の森に紅葉が吹き溜まる窪地があってな、そこに身を躍らせると布団より柔らかくて身体が埋まるのじゃ。顔を埋めると紅葉の甘い香りがした。あれは森の香りだったのじゃな」
貴更は頭を廻し、ほたるの膝に顔を押し付けます。
「柔らかくて、いい香りじゃ。ほたる、おまえは森の香りがする」
「貴更様・・・」
障子の外から乾いた風の音と葉擦れの音がさわさわと聞こえます。
「不思議じゃ、おまえが私の元に来てからそう日も経たぬのに、おまえには何でも話せてしまう。おまえが望月の間者かも知れぬとゆうのに」
ほたるの膝の肉が一瞬硬化したのを貴更は頬で感じました。
「貴更様、私は」
「許せ。こう問えば誰でも緊張するわ。私はもうおまえが間者とは思っておらぬ」
「貴更様」
「だが、正直おまえが誰かは分からぬ。下の者を放って調べさせたが、おまえがどこの者かはさっぱり分からぬのじゃ。それでもよい。おまえがほたるであればそれでよい」
「もったいのうございます」
ほたるは止めていた手を動かし、貴更の髪を梳かし直し始めました。
「そのままで聞いてくれ。先程父達の軍議を襖越しに立ち聞きした。兵衛門が私を菊地へ輿入れさせる話をしておった。もうずっと前から皆の間ではこの話が進んでおったそぶりじゃった」
兵衛門は大徳寺家の家老です。菊地家は大徳寺と望月の両家に国境を接して広がるより強大な国でした。
「おかしいだろう、ほたる。当の私だけが知らないうちにそこまで話が進んでいたのじゃ」
「そんな！ 貴更様。菊地の殿と言えば」
髪を梳かすほたるの手は再び止まります。
「そうじゃ。何度もおまえとの話では笑い者にしたな。菊地の殿はいくさ好きで女狂いの狒狒爺じゃとな。その狒狒めに私を側室として差し出し菊地の庇護を得、そのもとで望月を制し、あわよくば私に菊地の世継ぎを孕ませればとな。面と向かっては私を、さすが鬼姫様！ と、ことあるごとにさんざおだておった兵衛門めが」
「・・・お館様は何と？」
「おぉ、父上も乗り気じゃ。菊地の殿なら荒馬も乗りこなせようと言っておったわ。おかしいだろう？ ほたる。私がこれまで我が身を投じて守ろうとしていたものは何じゃったのだろうの。おかしくて笑いが止まらぬわ。はははは、ほたる、おまえも笑え！」
ほたるの膝に顔を埋めたまま貴更は笑います。身を震わせ両腕でほたるの腰を抱きしめて貴更は狂ったように笑い続けます。
檸檬児
'2002-11-10