傷の癒えたほたるは物静かに貴更に寄り添い、貴更もほたるを気遣い常にそばに侍らせました。ほたるの左腕には珠飾りがいつも赤い煌めきを放っていました。
まだ狩りの季節でありましたが、貴更はもう父達に同行することもなく、ほたるを伴って森を歩き回ることを好みました。森で見つけたほたるは森に来れば記憶を取り戻すのではないかと思ったからでもありますが、貴更はほたると二人きりになれることが楽しかったのです。
望月家との境の山からは大きく谷間が割り込み、そこは深い森に覆われていました。獣の影も多く、また季節の木ノ実やキノコも豊かでした。
意外にもほたるはこの森の木や獣達のことを貴更の知らないことまで詳しく、この地で生まれた貴更を驚かす程でした。でもほたる自身の記憶が戻ることはなく、問われても言葉少なく俯くだけでした。
獣達は豊かにいるはずなのに狩りの成果が落ちてゆくことを父達から聞きましたが、ほたるから母を殺された獣達の幼い子供達が餓死してゆくさまや、手負いにされた獣が野垂れ死んでゆく話を聞かされた貴更は、もはや以前ほど狩りに夢中にはなれませんでした。
最近では館の庭で夜にキツネの啼き声があがることがあります。
狩りの不調で獣達に馬鹿にされていると息巻く家臣もいましたし、領民達からここ数年に渡って続く獣による墓荒しの訴えもありました。
しかし、それどころではない動きが起こってきました。
かねてより小競り合いの続く隣国の望月家との交渉が不調で、本格的ないくさになりかねない勢いなのです。男達の動きが慌ただしくなり、いくら武芸に秀でているとはいえ貴更がもはや好き放題できる空気ではなくなったのです。
そんな日々のある日、貴更が自分の部屋に戻ると庭への障子が開き、庭先に数頭のキツネが座っていました。そして縁側に近い畳の上にも１匹のキツネがおり、貴更を振り向きました。
その左前脚にほたるに贈った珠飾りが光っています。
「待ていっ！」
貴更はとっさにキツネに飛びかかります。が、キツネは一瞬早く庭に飛び降り、仲間のキツネと共に薮の向こうに飛び込みます。
「こらっ」
貴更が素足のまま庭に飛びだしたのと、薮の向こうで思いがけずほたるの鋭い叱り声がしたのが同時でした。
檸檬児
'2002-11-10