朝焼けの風
「もう起きていたの？」
「あ、貴更さん。お早うございます」
「お早う。この時期も夜明け前は風が爽やかねえ」
夜明け前の太陽はまだ現れていないものの、東の空はすっかり空色になっています。その東を向いた客間の窓を開け、ひんやりとした風に肌をなぶらせていたほたるちゃんに、近づいてきた貴更が話しかけました。
窓からの風は、さらりと貴更の長髪をなぶります。
「そのスカートって涼しそう。色も奇麗」
「はい、中にペチコートも付いているんですよ」
「・・・その色を見てね、懐かしいことを想い出したの。あたしね子供の頃にアブラゼミの脱皮をこういう夜明け前に見つけたんだ。植え込みの木につかまってて身体中そのスカートみたいな薄〜い緑色で、触ったら壊れちゃいそうだった。まるでこの世の生き物じゃなくって妖精みたいだったな」
「わぁ、わたし写真でしか見たことありません。本当にあんな蛍石みたいなんですか」
「うんそんな感じ。でも全然硬い感じじゃないの。朝ご飯食べて、学校に行く前に見たらもう普通のセミの色に変わっていたけど」
薄緑色の虫の想い出は貴更にもう一つの子供の頃の記憶を呼び覚ましました。
幼い夏の夜に気配で見上げた窓の外に見た、はたはたと舞うオオミズアオの羽がやはりこんな薄緑色でした。
驚くよりも先に、夢のように大きな薄緑の羽の舞いに、貴更はガラス窓にへばりついてその姿を目で追いました。オオミズアオはやがて貴更の家の隣に迫っていた森の樹々の闇の奥へと遠ざかってゆきました。
あのあとをどこまでもついていったら妖精の国に連れていかれるんじゃないかと、その時に小さな貴更は思ったのです。
この話はほたるちゃんにはしませんでした。ほたるちゃんのスカートを続けて２回も虫の色に喩えたら気味悪がると思ったからです。
「朝日、出たね」
二人で話始めてほんの五分ほどで水平線に顔を出した太陽の最初の光が窓から差し込み、二人の姿を照らします。
「妖精の時間、終っちゃいましたね」
「そうね」
「貴更さん、小さな頃からロマンチックだったんですね。妖精の国って」
「ふふっ、そうね」
ふと、貴更は妙な違和感を覚えました。妖精の国の話ってほたるちゃんにしたでしょうか。確か、「蟲」に関わることだったような気がしましたが記憶があいまいになっています。
起きたばかりでまだぼんやりしていたから、その話もしたかもしれないと貴更は頭を振って考えるのをやめました。
「今日も暑くなりそう。さっ、顔を洗ってごはんにしましょ」
「はいっ！」
二人はさんざめきながら連れ立って廊下へと歩いてゆきました。
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檸檬児
'2003-7-6