桜の花は狂い咲き
昼なのに薄暗い公園に人影はほたるちゃん以外いませんでした。
公園には桜の花が今を盛りと咲き誇っています。
そしてほたるちゃんは一人、花びらの舞い散るしんとした桜の樹々の間で踊っていました。
桜の樹々の狭間を満たす静寂をときおり春告鳥の狂い啼きが切り裂きます。
その啼き声を耳に舞い踊るほたるちゃんは口元にうっすらと笑みを浮かべます。
もうどれ程の間踊り続けているのかも定かではありません。
踊りに酔い、ふと気がつくと廻りに懐かしい少女達が集まっています。
みな昔ほたるちゃんとお友達だった少女達です。
でも、この子たちはほたるちゃんと付き合ってしばらくすると、暗い、気味が悪いとほたるちゃんから離れてゆきました。ほたるちゃんは悲しみましたが、気が付くとこの子たちは急に引っ越してゆき皆の前から姿を消していたのです。
そんなことがこれまで何度も何度も繰り返されてきたのです。
そして今、消えた少女たちはみなこうやって帰ってきたのです。少女達は海の底の岩のように静まり返って、踊るほたるちゃんを見詰めています。
ほたるちゃんの喉から笑いがこぼれます。笑いながらほたるちゃんは踊り続けるのです。
静寂の花吹雪の中でほたるちゃんの笑い声だけが漂い、時々それに春告鳥の狂い啼きが交差します。
でも、ほたるちゃんの目からはとめどなく涙が溢れ出ているのです。
ほたるちゃんは笑いながら泣いていたのです。
笑いに息をふさがれて、とうとうほたるちゃんは少女たちの間に膝をつきます。
息は荒く、ほたるちゃんの背中は大きく波打ってとろりと冷えた空気をむさぼります。
涙だけが止むことなく、袖で拭いても拭いても溢れ出してくるのです。
その姿を少女たちは何も語らず見詰めています。
今はもう笑いもやみ、吐息だけが続くほたるちゃんの口から、自分でも思い掛けない言葉が漏れ始めます。
「たすけて」
笑い疲れ踊り疲れてとても息が苦しく、ほたるちゃんは少女たちの間に横たわります。
横になって気がつくともう手足の自由が失われています。
涙は止まらず、ほたるちゃんは顔を傾けて頬から耳へと雫が伝い落ちてゆくに任せます。
ほたるちゃんの動きが封じられたのに合わせるように、先程まで少しも動かなかった少女たちが周りで動き出したのが分かります。
じわじわと身を匍わせ、動けないほたるちゃんに向かって、どんよりとした目を向けたまま近寄ってくるのです。
不思議に、逃げようと言う気が起こりません。
ほたるちゃんには自分が横たわったまま少女たちのなすがままにされてしまうことが分かっています。
心が奇妙に澄み渡り、ほたるちゃんは空を見上げます。桜の花の雲の間に薄青い春の空が見えます。
近づく少女たちの蠢く手にとらえられたら、もう二度とこの空を見上げることは出来ないのです。
ほたるちゃんはただただ横たわったまま、降り注ぐ花びらを通して空を見上げています。
ほたるちゃんの口だけが同じ言葉を繰り返し続けます。
「たすけて」
「たすけて」
そして、最初の少女の手がほたるちゃんに届きました。
貴更さんはほたるちゃんとの約束の時間に遅れていたのであせっていました。
ほたるちゃんはいつも約束の時間の10分前には待っているので早めに着くようにしているのに、今日は出掛けにトラブルが起こって、公園についた時には５分程も遅れていたのです。
明るい公園には大勢の人が花見を楽しんでいました。そして待ち合わせのベンチには、ほたるちゃんが一人ぽつんとうつむいて座っていました。
貴更さんは息を整えながらほたるちゃんに近づきました。
遅れた詫びの声を掛けようとして、貴更さんは気がつきました。
ほたるちゃんはベンチに座ったまま眠っていたのです。
「どんな可愛い夢を見ているのかしら」
貴更さんは微笑みを浮かべて、眠るほたるちゃんの姿を見詰めました。
「・・・けて」
その時、うつ向いたほたるちゃんの口から呟きが聞こえます。
「たすけて」
つぶやきは、そう聞こえました。
「ちょっと！ ほたるちゃん！」
貴更さんは慌ててほたるちゃんの肩に手を掛けて、揺り起こそうとしました。
その時、貴更さんは気付きます。あれ程沢山いた花見の人達がどこにもいません。妙にこのベンチの周りも薄暗く、肌寒いしんとした空間にほの白い花びらだけが音もなく舞っています。
「起きて！ 起きなさい！ ほたるちゃん」
貴更さんはほたるちゃんの肩を揺らし、手を強く握ります。何という冷たい手でしょう。先程までジャンパーを脱ごうかと思っていた程の春の暖かさだったというのに。
揺すられ、声を掛けられ、ほたるちゃんはゆるゆると目を開きます。
そして貴更さんの両手が自分の肩を掴んでいることを知ると目を見開き反射的に両腕で胸を抱きます。
貴更さんは思わず両手を放します。ほたるちゃんの瞳の中に激しいおびえを見たからです。
「貴更・・・さん？」
ほたるちゃんの見開いた目がふとゆるみます。そして見る見るうちに涙が溢れてきます。
「貴更さん！」
ほたるちゃんはぶつかるように貴更さんの胸に飛び込み、震え始めます。
「ごめん！ ほたるちゃん。遅くなってごめん」
腕の中にすっぽり納まってしまったほたるちゃんの背中を貴更さんは軽く叩いてあげます。
あれは何だったのでしょう。周りには沢山の花見の人達がいて、何人かは抱き合う二人に好奇の目を向けています。公園は暖かい春の光に溢れ、人々の賑やかな談笑の声も聞こえてきます。
「大丈夫よほたるちゃん。わたしはここにいるから」
ほたるちゃんは何か怖い夢を見ていたのかも知れないと貴更さんは思います。でもそれだったら、さっきのあれは何だったのかしら？
貴更さんは頭を振ってその考えをやめます。ほたるちゃんをこれ以上怖がらせてはいけないと思ったからです。
「ごめんなさい、貴更さん」
腕の中でほたるちゃんが囁きます。
「わたしこそごめん。ほたるちゃん怖い夢見たのね。わたしが遅刻したばっかりに。こんなに手も冷えちゃって。ねっ、あったかいお店行って、おいしいもの食べよ。ねっ？」
ほたるちゃんが落ち着いたことに安心して、貴更さんはほたるちゃんの手を取って歩き出します。何かここにいてはいけない気がしてしかたがなかったからです。
一緒に数歩、歩き出してほたるちゃんは足を止め先程のベンチを振り返ります。
「あそこに何かあるの？」
そっと貴更さんは尋ねます。
「いいえ、何も。心配かけてごめんなさい」
でも、黒い幹を盛り上がるように覆うほの白い花の群れと、その下に花びらが音もなく舞い続ける虚空の広がりの奥の暗がりに、貴更さんは脈絡もなく一つの言葉が心に浮かびます。
「何かがあの奥からやってくる」
貴更さんはほたるちゃんの手を取り、そっとその場から離れてゆきました。
だけど、断ち切られた夢の残りは今でもあの場所にいるのです。
同人サークル「瀬」
檸檬児
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'2002-3-30