ゆめみるほたる ４ ほころび
日が長くなり春の足音は聞こえるものの、まだ陽が落ちると肌寒さを覚えます。
アニス＆アネスのライブ・コンサート帰りの９時頃、貴更の歩く道に人影がありません。歌詞がハードなバンドでほたるを誘うのは遠慮したので一人歩きでした。さっきまでのライブ会場の喧騒が嘘のように夜の街は静まり返り、道には貴更の足音だけが木霊します。
いつもは開いているはずのコンビニもファースト・フードも明かりが消えています。
こんな時刻なら勤め帰りの人が家路を歩く姿がいてもおかしくないのに、一人も見当たりません。
見慣れた街の表に面した商店はどれもシャッターが下りています。
そう言えば駅を出た時もホームが無人だったことを思い出しました。改札口も機械式で誰もいませんでした。
見上げた空にかかる満月が灰色と黒とに街を染め上げ、その中を貴更の足音だけが響きます。
不意に路地からバイクのアイドリングの音が聞こえてきて、貴更は立ち止まりました。
バイクのアイドリング音は鼓動のように低くリズムを刻んでいます。
貴更は路地を覗き込みました。
暗がりの奥に大型バイクが自らのヘッドランプの照り返しに硬質な光を輝かせています。
車体の前に誰かが革ジャンの背中を見せて立っています。革のミニスカートから伸びる脚が白く闇に浮かび上がります。
その見慣れた髪のシルエットに思わず貴更は声をかけます。
「ほたるちゃん？」
背後からの突然の声に人物は慌てるでもなく振り向きます。
おかっぱ髪の下のスミレ色の瞳が貴更の姿をとらえます。
その口元に静かに笑みが浮かびます。
笑みに誘われ貴更はホタルに近づきます。
夜の街に広がる沈黙の中、そこだけは馴染み深い場所に見えました。
「どうしたの、ほたるちゃん。このバイク」
貴更はホタルとバイクを見比べます。
「わたしのです。まだ走りたがっていたので起こしました」
返事の大人びた口調に貴更はとまどいました。
何か変だとの声が心の奥で囁きます。
ほたるはまだ中学２年生のはずでした。以前、隣町の映画館に行く時に自分のスクーターの後ろに乗せてあげた時のほたるのはしゃぎぶりが思い出されました。
でも、それらの記憶と何が変なのかとが結びつかないのです。
「バイク、好きでしたね」
貴更の瞳を真っ直ぐに見据え、ホタルが語りかけます。
何かが違うと心の奥が戸惑います。ほたるがこんな目つきで自分を見詰めたでしょうか。それでも語るホタルの静かな笑顔から目が話せません。
「ドライブしましょう。後ろに乗ってください」
ホタルに言われるままに貴更はタンデムシートに跨がります。
貴更がリア・ステップに足を乗せたのを見て、ホタルはシートに跨がります。
革ジャンの上から貴更はホタルの腹に腕を回します。
「行きます」
短く呟くと、ホタルはバイクを発進させました。
路地から滑り出したバイクは二人を乗せて車道へとコースを変えます。
シャッターの降りた無人の商店街をバイクはスピードを増して走り始めます。
見覚えのある店の閉じたシャッターが続き、商店街のはずれのコンビニを過ぎると暗い車道が地平線の果てに向かって延び、バイクはそこを一直線に進んでゆきます。前照灯の円錐の中を路面が後方に流れ去り、等間隔に通り過ぎる街灯の明りが視界を鼓動のように点滅させます。
車道の両側に黒々と聳えて続く塊は明りのないビルの群れとも、森林とも、岩山の連なりとも見えます。
こんなところが町の郊外にあった記憶は貴更にはありません。
明暗を繰り返す街灯と闇との連なりは渦を巻くトンネルの中を突っ切ってゆく思いがし、そのトンネルの壁面に沢山の引き伸ばされた光景が浮かびます。
立て看板にも見えましたが看板ではありません。映画のスクリーンのようにそのおのおのの光景が動いています。
見慣れたようにも未知のようにも見える光景は貴更とほたるに見える人物が中心になっています。
ちりちりと頭の奥が痺れ。時間の感覚がずれ始めています。
目もくらむスピードでバイクは疾走し、街灯と闇との明暗はストロボの点滅と化していました。それなのにたくさんの映画のスクリーンは輪郭がぼけることもないままにその一つ一つが鮮明に目に飛び込んでくるのです。
檸檬児
'2004-9-10