ほたるさんの誕生日
「ほたる〜」
「あ、シャルル坊っちゃま」
「ほたる、誕生日おめでとう！」
「まあ、ありがとうございます。あの、そのケーキは？」
ふわとバニラビーンズと卵とクリームと、カラメルの香ばしいかおりがシャルル君の持つプレートから立ち昇っています。
「僕とシンシアで作ったんだ。バースディケーキだよ。食堂においでよ、シンシアも待っているよ」
「シンシア様まで・・・あ、そのケーキはどこで？ まさか台所で！？」
「あ、ほたる」
ほたるさんは台所へと飛んで行きました。
「あ、ほたるさん。お誕生日おめでとう！」
「えっ！ シモーヌ様まで、なぜ」
台所ではシンシアの姉のシモーヌさんが、使ったボウルや鍋の後片づけをしていました。
「ん？ 大変な勢いで飛んできたと思ったら、ははぁん、シャルル君やシンシアがケーキを焼いたって聞いて台所が心配になったんでしょう。大丈夫よ、私がずっとついてたんだから」
「はい、それはよろしいのですが、シモーヌ様に後片づけなど」
「ほたるさん、台所を勝手に使ったのは謝るわ。でも私は可愛い妹と妹の大事なお友達の手伝いがしたかったの。お願い、ここはまかせて。それよりご覧なさい。あなたの本当の御主人様が、ほら」
「あ、坊っちゃま」
台所のドアからシャルル君が泣きそうな顔で二人の様子を見詰めています。
ほたるさんは口に手を当て一瞬とまどいます。が、次の瞬間ドアに駆け寄り、シャルル君の前で片膝を立ててしゃがみます。
「申し訳ありません、シャルル様。せっかく、シャルル様お心尽くしのケーキでしたのに、つまらない心配をしてしまいました」
同じ顔の高さでほたるさんはシャルル君と見詰めあいます。
「うん、いいよ、ほたる。それより早く食堂に行こっ！」
シャルル君は大きくうなずきます。そのシャルル君にシモーヌさんは流しから微笑みかけます。
「お待たせ。あらジュースも注いでおいてくれたのね」
「お台所、ありがとうございます。シモーヌ様は運転なさいますので、ワインは申し訳ありません」
「いいのよ。今夜はコンサートだしアルコールだとノドにきついから嬉しいわ」
「じゃ、みんな揃ったところで、シャルル。乾杯の音頭をお願いね」
シンシアがシャルル君を促します。
「うん。それじゃ・・・ほたる、お誕生日おめでとう！」
「ほたるさん、おめでとう！」
「おめでとう！」
「皆様、ありがとうございます」
パーティーは和やかに過ぎてゆき、今日のクレームブリュレの味やその作り方のことや、ほたるさんとシャルル君の昔のエピソードや、シモーヌさんのバンドの今夜のコンサートのことなどで話しが弾みます。
シャルル君は少し居心地がよくなかったのですが、こんなに楽しそうなほたるさんの顔を見ることが出来たのは新鮮な想いでした。
「シャルル、ずっと照れてたわ」
「それはね、女の子３人に囲まれたていたからよ。それにほたるさん、とっても嬉しそうだったじゃない。よかったわ」
「うん、シャルルったらほたるさんの顔ばかり見ていたわ」
シンシアの言葉にシモーヌさんは笑います。２人を乗せたバイクはシモーヌさんの屋敷へと道を急ぎます。
「羨ましかったの？ シンシア」
「ちょっとね。でも、ほたるさんはあたしも嫌いじゃないし。あたしがほたるさんの歳になったら本当の勝負よ」
「頑張りなさいね・・・でも、ほたるさんって歳をとるのかなあ」
「え？」
「ううん、何でもない。さ、早く帰ってうちの螢の誕生日も祝ってあげよっ。ケーキは真っ直ぐ持つのよ」
「うん」
シンシアは腕から下がったポシェットを二人の間に支えて風から防ぎます。ポシェットの中にはほたるとシャルルからの螢へのバースデイ・カードとリボンを掛けた箱があり、箱の中にはシャルルと一緒に特別に焼いた小さな丸いクレームブリュレが入っているのです。
「シモーヌさんってカッコいいね」
「はい、本当に素敵な女性です。女の私が見ても憧れてしまいます」
シャルル君とほたるさんは屋敷の前でシモーヌさんとシンシアとを見送ったところです。もう二人の乗ったバイクの姿も見えなくなったのに、さらさらと風の鳴る中、小さな御主人とそのメイドは佇んでいました。
「あのね、ほたる。これ、みんなからじゃなくて、僕から。誕生祝いにどこかに飾って」
「まあ、バラの花！ ありがとうございます」
おずおずと差し出された一輪のバラの花をほたるさんは頬を赤らめて受け取ります。
「とても奇麗です。まるで、レイモンド様のお屋敷の自慢のバラ園のお花のような」
ほたるさんは赤らめた頬で悪戯っぽく微笑みます。
「分かっちゃった？ 庭に忍び込んだところをレイモンドのおじさんに見つかちゃって、ちょっと怒られたけど、ほたるの誕生日のプレゼントにするつもりだったって言ったら、一番いい花を切ってくれたんだ」
「まあ、シャルル様ったら」
「私は幸せです。こんなに皆様からよくしていただけるなんて。まるでお伽話の妖精の魔法にかかったような気持ちです」
ほたるさんはバラの花に顔を埋めて香りを吸います。
「お伽話じゃないよ、ほたるはずっとこれからも幸せに過ごすんだ」
「シャルル様、時間はどんどん過ぎてゆくのです。シャルル様もそのうち上の学校にお進みになり、大人になられて御結婚されるのです。きっとメイドの誕生日にバラの花を贈ったことなんて、恥ずかしく思う日が来るのです。妖精の魔法はいつか解けるのです」
ほたるさんは草を鳴らす風の吹いてゆく彼方に目を向けつぶやくように語ります。
シャルル君はじっとほたるさんを見上げます。
「ほたるっ！」
突然の激しいシャルル君の声に、ほたるさんは驚いて目をしばたきます。
「そんな大人の僕なんて、僕は嫌いだ！ 僕がそんな大人になるって言うの？ 今が幸せなら、もっと続くように幸せを大事にすりゃいいじゃないか」
「シャルル様・・・」
「ほたるが読んでくれた『クマのプーさん』にあったじゃないか。クリストファー・ロビンは学校に行く歳になって、プー達と遊べなくなっても、魔法の森に来てプーと遊ぶって約束したじゃないか。その時にほたるは、今でも魔法の森ではクリストファー・ロビンとプーはずっと一緒に遊んでいるんだって話してくれたじゃない」
シャルル君の声は涙ぐんでいます。
「そんな悲しいこと言わないで、悲しい顔しないで。ほたる」
ほたるさんはしゃがんで、涙きじゃくるシャルル君をそっと抱きしめます。
「そうですね、シャルル様。今でも、これからもクリストファー・ロビンとプーはずっと一緒に遊んでいます。シャルル様も想い出を大事になさってくださいね」
ほたるさんのふわりとした香りに包まれ、柔らかな声で囁かれ、いつかシャルル君は夢を見ているような気持ちになっていました。
もっと小さい頃、シャルル君は眠る時に枕元で子守唄をほたるさんにうたってもらっていました。今のほたるさんの語り口はちょうどその時の歌のようでした。
ほたるのうたう歌を聴きたい。ぼんやりとした気持ちの中で脈絡もなくそんな想いが浮かびました。
午後からずっと立ちっぱなしで初めてのケーキ作りをし、ようやく完成して張り詰めていた緊張と体力が一気にゆるみ、おなか一杯に甘いケーキを詰め込み、とどめに泣き疲れてしまったのでしょう。腕の中で寝息を立て始たシャルル君を、ほたるさんはほほえんで抱き上げ、お屋敷の中へと戻ってゆきました。
「ほたる、うたって」
目をつむったままのシャルル君の呟きに、ほたるさんは足を止めました。そして口元に笑みを浮かべ再び歩き始めたほたるさんの周りの廊下に静かなハミングが木霊し始めたのです。
檸檬児
'2003-7-28