天使の見た夢
ちびうさは空気に溶け込むようにルナＰを抱きしめたまま消えていった。
あれほど生意気だった表情も、今となっては懐かしい想い出となった。
「また逢えるよ、うさぎっ」
レイの手が柔らかく肩を抱く。
「そうだよね・・・だって、ちびうさは、あたしとまもちゃんの子供・・・だもんね」
既に涙で目をうるませながら、それでもうさぎは笑顔を見せて、後ろを振り返る。
みんながそこにいた。
レイが身を寄せて、せつなげなほほえみを浮かべている。
その後ろに二人を囲むように、亜美が、まことが、美奈子がうなずきながら笑いかける。
さらに、衛が穏やかな視線を自分に注いでいる。
うさぎは、ふと思いだす。
楽しく騒々しい毎日が続くうさぎの中学生生活の中で、ふと蘇った戦いの記憶。
記憶を失っていた仲間を、その仲間の幸せを願って見守っていた孤独な日々。
宇宙を旅する孤独な恋人達の侵攻をきっかけに、昔の仲間の記憶も順々に蘇り、再会の喜びと、仲間との交流との充実した日々が再び戻ってくる。
信じられないほどの遥か未来での自分と衛との結び付きの姿。
その世界を侵そうとする敵をも打ち破り、改めて固く約束された恋人と仲間との結びつきの世界。
明日からはまた、穏やかで騒がしい生活が始まり、どうなってネオ東京の中での約束されたあの姿になってゆくのか分からないまでも、とりあえずはおもいっきり中学二年しているうさぎのいる世界が広がっていた。
それは北極での、クイン・ベリルとの戦いの最後に、いまわのきわのうさぎが心から望んだとおりの世界。
ふと、うさぎは身を縮め、自らの肩を抱きしめる。
こういう時だ。
幸せと心からの充実感に満ちた瞬間に、うさぎを寒気が襲う。
アンとエイルとが揃って宇宙へと還って行ったときもそうだった。
また仲間達と我を忘れて遊びまくっているときのふとした瞬間に、訳もなく、悲しみと、肌を刺す冷気の感触が蘇る。
こんなに幸せでいいのだろうか？穏やかな喜びに震える頂点で、ふと隙間風のようにこの冷気がうさぎを襲う。
そんな時、仲間の少女達がいたましそうな目でうさぎを見つめている事に気づく。
でも次の瞬間、何もなかったように、いつものにぎやかな日常が再開される。
それは、これまでも何回かあった奇妙な瞬間だった。
夕方だった。
うさぎと衛との二人だけにしてあげようと、少女達四人は火川神社に集まっていた。
うさぎが沢山のドーナツのお土産を持って、黄昏にオレンジ色に染め上がった境内にやって来たときに、そこにはシンとした静寂が広がっていた。
灯かりの見えるレイの部屋からは物音ひとつしない。
中二の少女が四人もいるにしては、それは奇妙な静けさだった。
レイ達を驚かせようと、足音を忍ばせて、勝手知ったる人の家をうさぎは廊下を進む。
レイの部屋のドアの前まで笑いをこらえて忍び寄ったうさぎには、部屋の、いや家全体の静寂に気づくゆとりもなかった。
「レイちゃん！」
大きくドアを開けながら、うさぎは元気に室内に飛び込む。
その足がピタリと止る。
低いテーブルの回りのカーペットに座り込んだ四人の少女達は海の底の岩のように青ざめ、微動もしていなかった。
「あら、うさぎ。どうしたの？衛さんとは」
驚いて顔を上げたレイが、うさぎを振りあおぐ。
今のは目の錯覚だったのだろうか？
まるで止っていたビデオが動きだしたように、突然室内は少女達の賑やかなさざめきに包まれる。
「わあ、ドーナツ！うさぎちゃん、おいでよ」
美奈子が笑いながら手招きする。
「う、うん。あのね、あたしだけ衛さんと楽しがってても悪いから、みんなで食べようって買ってきたんだよ」
うさぎはとまどいながらも、美奈子の横のカーペットに座り込む。
「サンキュー、うさぎちゃん。それじゃ、あったかいコーヒーを入れるよ。レイちゃん、キッチン借りるよ」
まことが明るく笑いかけ、身軽に部屋から出ていった。
いつもの楽しい時間が再開した。
美奈子の的の外れた冗談に亜美が穏やかに突っ込む。
レイの見え見えのイヤミに、うさぎがまことに泣き付く。
それはいつもの時間のはずだった。
でも、何かが違う。
「レイちゃん、みんな」
ふと、さざめきが静まった時、うさぎは真顔でレイ達に向き直る。
「変に思われるかもしれないけど・・・みんなあたしに何か隠してることない？」
少女達は顔を見合わせる。
「どうしたんだい？うさぎちゃん」
まことが首をかしげて、笑いかける。
「おかしいの。今の自分がウソみたいで、あたしの知らないところで別の世界が動いている気がしてしょうがないの。今だって」
回りに座ってけげんな顔で自分を見つめる少女達を見まわし、うさぎは言葉を切る。
「あたしが来るまで、この部屋でみんなどうしていたの」
おびえた声がゆっくりとうさぎの口から漏れる。
「何って、いつもみたい、おしゃべりしていたのよ。どうしたの、うさぎちゃん？」
美奈子が明るく問い返す。
レイは、レイは静かな目でうさぎを見つめていた。
「うさぎ」
少女達もレイの様子に気づく。
「うさぎちゃん」
レイから目を戻した亜美が、いたましげなほほえみを浮かべて、うさぎを見つめる。
「亜美ちゃん、あたし達、何回中二の春を迎えたの？今度で」
うさぎは自分を見つめる亜美の青い瞳へと目を移す。
そっと、うさぎの首の回りをためらいがちな腕が後ろから静かに抱きかかえる。
「気がついちゃったんだね、うさぎちゃん」
耳元でまことの優しい声がささやく。
「みんな」
うさぎはゴクと息を飲み込む。
「この寒さはなに？時々ふと感じるの、こんな幸せの中で。でも教えて本当のことを」
うさぎはレイをまっすぐ見つめて問い掛ける。なかば答えを予期しながら。
「知りたい？本当に？うさぎ。みんななくすことになっても？」
「だめよ！レイちゃん」
穏やかなレイの答えに、美奈子の悲鳴が重なる。
「教えて、レイちゃん」
うさぎはレイの目を覗き込む。
レイは黙ったまま指を上げ、部屋のドアを指差す。
うさぎは座っていたカーペットからゆっくりと立ち上がる。
まことの腕がそろりと外れる。
部屋のドアの前に立ち、うさぎは後ろを振り返る。
四人の少女達が立ち上がって自分を見つめていた。
やるせないほほえみみを浮かべながら。
うさぎはノブを握り、思い切ってドアを引き開けた。
ごおっ、と氷点下の風が吹きすさぶ。
ドアの外は地平の果てまで見渡す限り一面の氷原だった。
その光景をまっ正面からうさぎは見つめる。
ゆっくりと、うさぎは後ろを振り返る。
居心地のいいこじんまりとした部屋の中に、マーズが、ジュピターが、マーキュリーが、そしてヴィーナスが立って、自分を見つめていた。
やるせないほほえみみを浮かべながら。
「みんなが見せてくれていたの？いままで」
セーラームーンはドアのノブをつかんだまま、ささやく。
マーズが足を進める。
「分かっちゃったのね。うさぎ」
バツが悪そうな顔を歪めながら、レイはうさぎの左肩にひたいを乗せる。
長い黒髪がうさぎの肩を隠す。そのレイの肩が小刻みに震えている。
うさぎはレイの肩を抱きしめる。
「ありがとう、レイちゃん。泣かないで」
「強くなったのね。うさぎ、本当に」
震える声が隠れた顔から漏れる。
美奈子は立ったまま泣きじゃくっていた。
その肩を抱いて、まことがうながす。
残りの三人がうさぎをとり囲む。
美奈子はわっと、うさぎの背中に泣き付く。
「ごめんね、いつまでも、こうしていたかった」
亜美がうさぎの右肩に手を重ね、そっと身を寄せる。
「あたしたち、うさぎちゃんに」
さらにその後ろからまことがすすり泣きながら、大きく皆を抱きかかえる。
「ありがとう・・・みんな」
うさぎは喉をつまらせる。精一杯に笑顔を見せようとしながら。
ドアの外に広がる雪原を背景に、目の前に琥珀のように透き通った金色の階段が遥かな天を目指して伸びていた。
「行こう。みんなで」
うさぎは皆をうながす。
うさぎを真ん中に五人の少女が光りに満ちた階段を上がってゆく。
「また、会えるね」
うさぎが左右に笑いかける。
「うさぎちゃん、見付けてね、あたしを」
亜美がせつなそうにほほえむ。
「見付けなかったら、許さないんだから」
レイが強がる。
「あたしの方から見付けるさあ」
まことが力強く笑いかける。
「あたしが最初に見付けるんだからぁ」
美奈子が負けずに言い返す。
「みんなっ、これからもずっと一緒だよっ！」
うさぎが空へ向かって明るく叫ぶ。
北極の砕け散ったＤポイントの孔のそばの氷原に、かってクインベリルだった者の粉末と化した残骸が黒く大きな影となって長く長く伸びていた。
さらにその近くの氷の上に、小さなセーラー戦士が横たわっていた。
二つのおだんごから伸びた髪が絶え間なく吹きすさぶ雪まじりの風になぶられる。
その顔はしかし、臨終を迎えた束の間の心が見せた夢の想い出に、穏やかなほほえみを浮かべたままだった。
凍り付いた小さな亡き骸を、やがてブリザードが埋めて行く。
了
同人サークル「瀬」
檸檬児
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2000-9-27