冥王
名残惜しかったけれど３０世紀に帰る刻限が迫っていた。
友達つくりの修業ということでママの元を離れて最初は寂しかったけれど、ほたるという心を通わせ合える、かけがえのない少女ともちびうさは出会えた。
それに、この時代にもプルートはいた。
今、未来へと開いた時空の門を背にして、ちびうさは華奢なほたるの身体を抱きしめていた。
「ほたるちゃん、泣かないでよ。また遊びに来るからね、ねっ」
しゃくり上げるほたるの背中を撫でながら、ちびうさも泣いていた。
そのぼやけた視界にみんながいた。
思えばこの世界では一番優しかったレイ、３０世紀でも同じように生真面目だけど時々ヌケている亜美、皆に優しいまこと、やっぱりここでもにぎやかだった美奈子、あのママの昔の姿とはとても思えなかったけど、やっぱりママだったうさぎ。
うさぎには若々しい衛が付き添っていた。
彼らと少し離れて、はるかとみちるが、今はかっての険しい雰囲気をすっかり消して寄り添って佇んでいた。
彼らとまた少し離れて、せつなが一人佇んでいた。
そう言えば、この２０世紀ではうさぎとその友人の少女達との付き合いがほとんどで、せつなと２人だけで話し合うことはあまりなかった。
心なしか、その姿は寂しげに見える。
だけど、ちびうさと目が合うと、せつなは穏やかに微笑み、うなずく。
皆が自分を暖かく見つめている。
ふと、ちびうさは３０世紀の彼らと今の彼らの姿が二重写しになった。
同じ、みんなだった。
こんなみんなに囲まれて育ちながら３０世紀のかっての自分は、誰にも愛されていないと思い込んでいたのだった。
ただプルート一人だけを心を許せる話し相手として。
「じゃ、ほたるちゃん、あたしもう行くね」
そっと、ちびうさはほたるにささやく。
かすかな燐光を放つ時空の門の開口部は臨界点に達し、暗黒の穴の奥から冷たい風が流れて来る。
その風は、みちしるべたる時空の鍵を持たずに足を踏み入れれば中で永劫にさまようことになる冥府の風であった。
うっかりすると無限に重なり合うパラレル・ワールドに迷い行ってしまうことすらあると言う。
「みんなぁ、また来るねぇ」
小さな手を振りながら、ちびうさは冥府への門へと足を踏み入れた。
「ちびうさちゃあん、きっとよ」
ほたるの声が冥府の門の内側にまで聞こえてくる。
ほたるは冥府の門の間近まで迫ってちぎれるように手を振っている。
その後ろにみんなが並んで手を振っていた。
一番後ろで、せつなが穏やかに手を振っている。
ふとその手にちびうさが持っているのと同じ時空の鍵に似た輝きが見えた。
その手の動かし方も少し奇妙な様子だった。
だが、既に時空気流に乗ったちびうさの目からは、みんなが手を振っている姿が見る見るトンネルの向こうのように小さくなってゆくのが見えるのみだった。
冥府の闇と霧の中を一直線に突き進みながら、ちびうさは３０世紀に帰ったら最初に門番のプルートに２０世紀の話をしようと思った。
３０世紀でもプルートはいつも独りぼっちだった。
まるで２０世紀でのせつながそうであったように。
クリスタル・トーキョーに戻ったら、もっとプルートのところに遊びに行かなくては。
以前も、自分が遊びに行くとプルートは穏やかな様子だけどたいそう喜んでくれていた。表情をおもてに出すことの少ない女性ではあったが、自分の訪れをそんなに喜ばれることで、ちびうさは自分を誇りに思ってすらいた。
悲しい時に会いにゆくと、プルートは膝の上に抱き上げ胸に抱き寄せて、静かな語り口で思慮深く語りかけてくれるのだった。その純白のコスチュームの下のしなやかな身体は柔らかく温かく、ちびうさはまるで母の胎内に包まれているかのように心がなごむのだった。
プルートのやや濃い目の体臭も、むしろ懐かしい快さを覚えるものだった。
彼女に抱きついた時、回した腕に密着し移った腋の下の匂いを、ちびうさはパレスに戻ってからひそやかに自分の腕を嗅いで偲んだものだった。
ただ、別れの時に隠しきれない寂しげな表情を浮かべるプルートを見るのはつらく、いつもなるべくその顔を見ないようにしていた。
そして聖堂の出口のドアのところで振り返ると、プルートは聖堂中央の時空の門の傍らにたたずみじっと自分の後ろ姿を追い続けているのだった。
だから、一番に会うプルートに２０世紀で彼女がせつなという名前の女性に転生し、女子大生をやっていたというみやげ話をしてあげると喜んで聞いてくれるだろう。
あのプルートの淋しそうな顔を自分がほころばせてあげられるのが嬉しかった。
そんなちびうさに、既に３０世紀の冥府の門が見る見るせまって来る。
「プー！」
ちびうさは門を飛び出すや、元気に叫ぶ。
冥府の門の外である時空の聖堂はガランと静まり、いつもながらかすかな靄が漂っている。
窓から見える空には満月がかかり、こちらでは真夜中であるらしい。
差し込む月光で部屋の中全体の様子が青白く浮き上がる。
「プー、いないの？」
静けさに心細くなり、ちびうさはあたりを見回す。
出てくる時代を間違えたのだろうか。
まさかブラック・ムーンの一族がやってきた時代に？
だが窓の向こうの夜闇を透かし黒々とした丘の向こう一面には、この王宮を囲むクリスタル・トーキョーの活気に満ちたきらびやかな光の煌めきが見える。
空の雲の下面は都市の灯かりを薄紫色に反射している。
冥府の門を囲むプルートの聖域のこの静けさはいつもの事だった。
だが、何かが違う。
青白く浮かび上がる滑らかな床も石柱も冷たくよそよそしい。
「プー、プー」
ちびうさの頼りなげな呼び声のみが静寂を破る。
「プウ、隠れてないで、出てきてよお。プー」
ちびうさの声が涙声になりかかった時だった。
ふと、ちびうさの目が、やや離れた石柱の陰から覗く赤紫の輝きをとらえる。
あれは・・・ガーネットロッド！
赤紫の輝きは石柱の陰から斜めに突き出したガーネッドロットの先端に埋め込まれた紅柘榴石の輝きだった。
さらに突き出たロッドの下には、人がしゃがんでいるように黒いスカートの端が石柱の陰からはみ出している。
「もう、プーったら、びっくりするじゃない！そんなところに隠れていて」
それまでの反動からか、ちびうさは甲高い声で石柱へと呼びかける。
ゆらりとガーネッドロッドが揺れ、石柱の陰にしゃがんでいた姿が立ち上がる動きが窓からの淡い月光に浮かび上がる。
さらりと流れる膝まで伸びた濡れるような黒い長髪。
白のセーラー・コスチュームの長身の戦士の後ろ姿。
「プウーっ！」
ちびうさは弾かれたようにその姿に泣きながら全力で駆け寄る。
セーラー戦士は振り返り、顔に掛かった長髪をさらりと払う。
真白な顔。
皮膚も肉もないされこうべの顔。
虚ろな黒い眼窩がちびうさを見つめる。
ほころび、褐色のシミに覆われたセーラー・コスチュームから伸びる腕も足も細い白骨だった。
そのコスチュームの腹部と胸部は腐り落ち大きな空洞が開き、肋骨が鳥籠のように覗き見えている。
かしゃり。
「す も お る れ でぃ い かえってきて くださった の ですね」
裂けんばかりに目を見開き立ちすくむちびうさに、白骨戦士は虚ろな顎を鳴らす。
そのほっそりとした腕をちびうさを抱きかかえようとゆっくりと広げる。
乾いた黴の埃くさい匂いが漂う。黴臭さにかって自分の腕にも移り香としてかいだプルートの匂いが甘ったるく混じる。
声にならない悲鳴を上げてちびうさは反転し駆け出す。
薄明に満ちた聖堂の扉の外へと、扉を開け闇に包まれた回廊を駆け抜け、光のもとへ。ママのもとへ。
「す も お る れ でぃ いぃぃい ずっと まっていたのですよ」
「ママ！ママーッ！」
叫びながら闇の回廊を走るちびうさを、せつない声が小さくなりながらも追い続ける。周りの闇が細い糸となってちびうさにからみつく。
プルートの髪に似た手触りの闇の触手をちびうさは振り払ながら駈け続ける。
「わたしは ここで ひとりぼっちで あなたが くるのを」
「いや、いや、ひぁあああ！、ママ！ママーッ！」
ちびうさの目の前の闇にふいにぼうっとした光が見えた。
「スモールレディーッ！」
凛とした言葉が響く。
見る見るその姿が、団子頭から２本の金髪を垂らした白いドレスの長身の女性に形を結ぶ。
「ママーっ」
ちびうさは両腕を広げたその女性の胸に飛び込む。
暖かい甘やかな香り。
「おお、スモールレディー、戻って来たのですね」
ネオ・クィーン・セレニティーは、腕の中のちびうさを優しく抱きかかえる。
「プーが・・・プルートが・・・」
セレニティーの腹にしがみつき、甘やかな香りにむせるように、息を切らせ喉を詰まらせ、ちびうさは言葉を形に出来ない。
ふと、その甘い香りに、乾いた黴の埃くさい匂いが混じる。
「まあまあ、こんなに震えて。大丈夫ですよ、スモール れ でぃ い わたしが いっしょに いますから」
は、とちびうさは動きを止める。
しがみついている腹はドレスではなかった。
褐色のシミだらけの、ほころび穴の開いた白いセーラー・コスチューム。
その何の抵抗もないがらんどうの腹部を束ねたカーテンのように抱きしめ、顔を押しつけている。頬にごつごつした脊柱が当たり、プンと煮干しに似た臭気がする。
ゆっくりと顔を回し、頬に触れる長い髪を確かめる。
濡れるような黒い長髪。その背景にはさっき出てきたばかりの冥府の門が漆黒の口を開いている。
歯を食いしばり、それでも操られたように顔を上へ上へと向けて行く。
自分を見下ろす虚ろな黒い眼窩。
かしゃり。
「す も お る れ でぃ い」
「スモールレディーッ！」
「スモールレディーッ！どこをっ」
「スモールレディーッ！どこなのです」
キングとネオ・クィーン・セレニティー、４人の守護戦士の声が聖域の静寂を破って呼び交わす。
次空の門の前にようやく６人は辿り着く。
「門が開いている！スモールレディーは確かに帰って来ています」
セーラージュピターがいち早く気付く。
「今日の昼に帰って来るはずだったのに、どういうことだ。先ほどスモールレディーが戻ってきた反応があったというのに、すぐ消えてしまったとは」
キングが不安そうに月明かりに照らされた時空の間を見回す。
「ここはプルートが亡くなってからは封印され、バリヤーの外からも中からも解除なしには通過することは出来ないはずです」
マーキュリーが抑さえた声で語る。
「待って！声が」
ヴィーナスが両耳に手の平を当てがって、耳を澄ます。
「まさか・・・」
ヴィーナスに倣って耳を澄ませた皆の中でキングが呆然と呟く。
女性の笑い声が幽かに次空の門の向こうから聞こえてくる。
「スモールレディー！」
マーズが扉の一点を指差し悲鳴を上げる。
冥府の門の凝った造りのノブに、絡み付いたまま無理矢理通ったのかピンク色の抜けた髪が数条、暗黒の穴の奥からの風に揺れていた。
ーーーーーーー●
瀕死の始皇帝の命を受けた徐福が船を仕立てて東海の彼方にあるという蓬莱島に不死の仙薬を求めて旅立った時、遥か西のゴビの地へも皇帝の仙薬探索の手は伸びていた。
龍は自らの寿命を悟ると砂漠を越えた西の果てに身を潜め、ついには石と化すと言う。その石と化した龍の骨を龍骨と呼び、人が用いれば不老長寿を得る仙薬と崇めた。龍骨は殷代から万病の妙薬として知られていた。だがその実物を見たという人間は稀であり、存在そのものすら疑われてもいた。
始皇帝が求めたのはその龍骨であった。
おそらく龍骨とは白亜紀のモンゴル高原に跳梁したタルボサウルスを始めとした恐竜の化石であったのであろう。
かって若い頃西域で龍骨を得たという道案内の老道士を先頭に、皇帝の命を受けた軍団は砂漠を進んで行った。
都を出る時には五百人と二百騎の大軍団が度重なる匈奴の来襲に軍勢を奪われ、既に十四人と二騎になり、その姿も乞食と変わらなく汚れ果て、疲弊しきっている。
たとえ龍骨を得ても皇帝の元に帰りつけるものか、そもそも皇帝が存命かすら、既に彼らの意識からは消え失せていた。
彼らに出来ることは軍旗を押し立ててただ歩き続けることだけであった。
それは夏至を迎える乾いた朝のことであった。
昨日の午後から始まった砂嵐を避け身を寄せた砂丘の陰で夜を明かした彼らが朝の光の中で目覚めた時、目の前には巨大な岩の壁が迫っていた。
砂丘と思われたこの壁を覆っていた砂が昨夜の風で吹き飛ばされたのであろう。
「龍骨だ！ここに龍骨がある！」
ふいに案内の老道士が粘板岩質の壁の一部を指さし狂ったように叫びだした。
壁面に高さ二メートル程の大きな卵が半分めり込んだような半球形の突起部がある。乾燥と強烈な日差しに照らされ岩の卵は表面から層状に剥がれかけていた。
龍の骨から石灰分が周囲の岩に染み出して固め、球状の岩の中に封じ込められた形で龍骨は見つかるのだと老人は語る。
襤褸の兵士達は見違えるように活気づく。
さっそく豪力の兵士が腕をさすって歩み寄り、皆が円陣を組んで見守る中、壁面から突き出している石の卵の境目へと、渾身の力で戦矛を振り降ろす。
狙いは誤らず、石の卵の上から下へと一直線に亀裂が走り、どうとその前半身を砂の上に転がす。
が、石の卵の中央から現れたものを見、一拍おくや兵士達は一斉に魂切るような悲鳴を上げその場から逃げだした。
白亜紀の粘板岩に埋め込まれていたのは、丸くしゃがみこんだ人間の骨だった。
だが人骨程度で百千錬磨の兵士達が怯えたのではない。
自らの腹を腕で抱きかかえたその骨の腹腔と胸腔による鳥籠のような空洞一杯に別の小さな人間の骨が押し込められ、その左手が肋骨の間を押し広げ、隙間から突き出された頭蓋骨の小さな歯が自らを封じ込めた肋骨に噛みつき、更に右腕が救いを求めるかのように外へと突き出されたまま化石と化していたからであった。
了
同人サークル「瀬」
檸檬児
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2000-9-27