オマージュ
目次
オマージュ
第一章 ポゼイドンの目覚め
第二章 炎の魔女の帰還 （執筆中）
第三章 太陽と戦慄 （執筆中）
第四章 紅の王の宮殿 （執筆中）
終 章 ムーンチャイルド （執筆中）
第一章 ポゼイドンの目覚め
ダークキングダムが十番町を起点に地球侵攻を完了し、２年の月日が流れた。
今や彼らのダークエナジーは日本のみに留まらず世界全土を覆い尽してていた。
人間の側からも絶望的な抵抗があがったものの、妖魔側のおぞましい侵略戦術に、各地でなすすべもなく崩壊していった。
昨日まで共に戦っていた仲間が突然妖魔に変身し、味方の中で周囲の人間に襲いかかる。誰が妖魔なのか、いつ変身するのか、あるいは自分自身が既に妖魔に寄生されてしまっているのか、分かるすべはなかった。
疑心暗鬼はたやすく抵抗組織の崩壊を招いた。
地上のかって人間が繁栄していた都市には、妖魔、妖魔化した人間、そして彼らの奴隷と化した人間達が徘徊していた。
ダークキングダムの侵略の起点であった十番町には異形の美学に基づく重苦しい巨塔がそびえ建ち、その周辺に散らばるいじましいバラックのコローニでは、ただエナジーを吸い取られるためだけに生かされている人間が群れ暮らしていた。
そんな生活に耐えきれない人間は町の中央の巨塔に願い出ては、自ら妖魔へと変身していった。
妖魔に変身するための条件は、自分の家族全員のエナジーを死に至るまで吸収提供することであった。
親が子を売り、子が親を売る地獄絵図が日常茶飯と化していった。
そんな人間達の中にも希望があった。
一部の屈強な人々がダークキングダムの目を逃れて地下に潜み、転覆の時を窺っているという噂と、ダークキングダムの侵攻のごく初期に十番町を中心に激しい抵抗活動を展開した、華やかな少女戦士達の伝説であった。
セーラームーン、セーラーマーキュリー、セーラーマーズ、セーラージュピター、セーラーヴィーナス・・・少女達の華麗な戦いぶりを知る者は、もし彼らが帰って来たらとの微かな希望をいだき、語り伝えていた。
最後の絶望的な戦いの中、テレポートによるおぞましい強制合体攻撃を受け、妖魔化こそしなかったものの、知性を奪われた彼らは四散した。
セーラーマキュリーは海に逃げ、セーラージュピターは奥多摩を通じて日本アルプスにひそみ、共に野生化したと伝えられる。
セーラーマーズは完全に行方不明となり、一説には死んだとも、地下に潜った反乱分子の人間達と共に潜んでいるとも言われる。
セーラーヴィーナスのみ捕まり、十番町中央の巨塔の中で獣のように飼い殺しの憂き目に遭っているという。
最後のセーラームーンは、残りの４人が身を挺し守り通したおかげで、妖魔の合体攻撃を受けず、知性を保った人間のままで逃げのびたという。
あるいは、姿を隠した３人の少女戦士の誰かと共にいるのかもしれなかった。
新たなドラマの幕が開いたのは、少女戦士達の最後の戦いが終り、ダークキングダムの容赦ない侵攻が本格化してから２年後のことだった。
大戸島近海の霧の深い夜だった。
波のない海上を、既に妖魔専属海軍と化したかっての海上自衛隊所属の駆逐艦、「しらね」が巡航していた。
電子機器に覆われた管制室でレーダー担当の佐川妖魔一佐は首をひねっていた。
艦をすっぽりと包んでいるこの濃霧が、極めて短時間に発生したこと、その発生区域が小区域に限定されていたことだった。
ＣＲＴに表示されたレーダー情報によると、ほとんど霧は艦を中心とした直径１キロほどの円を描いている。
「しらね」はこの海域で発生する原因不明の海難事故の調査に出動していた。
佐川妖魔一佐は、不吉な予感に震えた。
もしや、この霧は・・・
艦長に疑惑を連絡しようと決意した時だった。
海中ソナーが新たな異変をけたたましく警告し始めた。
海底から何かが艦を目指して浮上してくる。
巨大な物体だった。全長は２０、いや３０メートルはある。
もはや、艦長に連絡するまでもない。「しらね」は既に小刻みな上下動を始めていた。
艦の周辺の海面は泡立ち、ゆっくりと渦を描き始めていた。その渦の中央で「しらね」はもはや舵も効かず、なすがままにメリーゴーランドのごとく回り始めていた。
甲板に飛び出した妖魔船員達はさらなる恐怖に震えた。
「しらね」の右舷の海面から巨大な岩礁がせり上がってくる。
岩礁にはびっしりと青黒い海草が密生していた。
取舵での必死の回避行動も間に合わず、「しらね」の艦底は岩礁と接触した。
その途端、岩礁は一気に２０ｍも隆起し月を背景に甲板を遥かに見下ろす。
もとより岩礁などではなかった。それは渦の中心で回転する「しらね」の右舷に位置したまま共に回転しつつ上昇し続けていたのだ。
そのシルエットは巨大な人間の上半身のそれだった。
いつの間にかあれほどの濃霧は消え去り、真上からの月明かりの中、その身にまとった純白の水兵服はつややかに輝き、ノースリーブの腕を胸の前で組んでいる。
海草と誤認した短めの頭髪が青々と燃え上がる。
表情の見えない顔の目の位置から炯々と２つの光りが輝く。
腰を抜かした妖魔船員達の耳を、甲高い咆哮がつんざく。
「シャイーン・アクア・イリュージョォオン」
ただ一人の生還者、佐川妖魔一佐が機密扱いのまま収容された十番町中央塔の独房で、情報将校ゾイサイトに混乱した口調で語った言葉がそれだった。
咆哮が轟いた瞬間、海面の波が一斉に長大な水の鎌と変じ空を舞い「しらね」へと襲いかかったという。
「しらね」の突然の失踪にスクランブル発進した空からの調査でも、海面には破片すら見つからなかった。
海難当時管制室にいた佐川一佐が大戸島の浜辺に打ち上げられていたのが、発見された唯一の手掛かりだった。
が、息を吹き返した佐川一佐は既に正気を失っていた。
ただ、最後に耳にしたモンスターの叫びを擬したと思われる音節を繰り返し、口にするばかりであった。
「シャイン・アクア・イリュージョン・・・」
執務室に戻ったゾイサイトが呟く。
「奴だ」
十番町の夜に街をいろどる灯かりはない。
ただ満月だけが、闇の中に街の輪郭を灰色に浮かびあがらせる。
闇に沈んだ町の中央に更に黒々と聳える巨塔の地階最下層、地上から５０ｍはおりた岩を掘り抜いただけの陰欝な洞窟の突き当たりに、ぶ厚い鋼鉄のドアが立ちはだかっていた。
ドアには鉄格子のはまった小さな窓が開き、そこから内部のオレンジ色の光りが漏れる。
むっとするようなケモノ臭い空気が洞窟にこもる。
時折、鋼鉄のドアの向こうから巨大な動物らしきものの吼え声が漏れ聞こえる。
その声は音量はともかく、どこか知恵遅れの女の泣き声を思わせる。
「満月の夜になると、これだ。月なんざ見えないくせに」
番人の２名の妖魔の１人が椅子から立ち上がり、小窓から中を覗き込む。
「ザマあねえ、ヨダレ流して泣いてやがる」
「電気で眠らせるか。うるさくてかなわねえ」
もう１人も立ち上がると、壁に埋め込まれた配電盤に向かう。
その手が巨大なギロチン・スイッチにかかった時だった。
「およしなさい！」
洞窟にりんとした少女の声が響く。
「は？ あ、なる様！ それにネフライト様も」
いつ現われたのか２名の後ろに小柄な少女が立ち、さらにその後ろに幅広な肩もたくましい、ダークキングダム四天王にして妖魔軍参謀総長のネフライトの姿が立ちはだかる。
「いかんな、捕虜を必要以上に攻めるのは」
ちらと走らせたネフライトの視線に、２名の妖魔は震えあがる。
「ドアを開けて」
その２名に、布をかぶせた大きなバスケットを小脇にかかえた大阪なるは静かに語る。
バスケットからは、この場にはいかにも不似合いなバターとミルクの甘いかおりが流れる。
おびえつつ、妖魔の１人が配電盤のレバーを上げる。
錆びた音をきしませながら、ドアが横に滑ってゆく。
なるはためらいもせず、開いたドアの向こうへと足を進める。
オレンジ色の照明に照らしだされ、直径１０ｍ、深さは３０ｍほどに更に下に向かって円柱状に掘りぬかれた空間が目の前に広がる。
ドアの向こうはいきなり垂直に落ち込んでその円柱の壁面となり、そこから空間へと突き出したわずかに半径１ｍほどの半円状の鉄製バルコニーがなるの足場を支える。
汗と垢と排泄物のむっとする悪臭がこもる中、顔をしかめもせず、なるはバルコニーの手すりにまで進む。
手すりの向こうの縦孔の底に異様な生物が膝をかかえてしゃがみこんでいた。
垢まみれの肌、ゴワゴワとよじれ脂でかたまった、もとは金色だったろう長い髪、その髪にきたならしく巻き付いた褐色のボロ布。
身に付けたものといえばそのボロ布ぐらいなものだった。
生物は歳の頃は１４才ほどの少女の姿をかたどっていた。しかしその全身は立ち上がればこの空間の高さに等しい３０ｍにはなるであろう。
その少女は上を向いてだらしなく口を開き、その口の端からヨダレをしたたらせながら泣いていた。
「美奈子さん」
なるは縦孔の底に向かってささやく。
ピクッと少女は動きを止め、声の主を目で探す。
なるの小さな姿を目にとめるや、ゆっくりと立ち上がる。
手首にはまった金輪から床までをつなぐ鎖が伸びきって１本の棒になり、うなる。
鎖の長さに制限され、その手がバルコニーまで届くことはない。
が、少女の巨大な顔は、なるの正面に迫る。
いつもの事ながら、なるはこの瞬間、息がとまりそうになる。
ぼんやりとした青い瞳がなるを見つめる。
「美奈子さん、クッキーを焼いてみたの。クッキー好きだったでしょう」
なるは笑顔を浮かべつつバスケットを両手で前に突き出す。
ああ、ああ〜あ。
甘いかおりが漂ったのか美奈子があどけない声をあげる。
「はい、口を開けてね」
たっぷり３０ｃｍはあるクッキーを１枚バスケットから取り出すと、なるはあんと洞穴のように口を開いて顔を寄せてきた美奈子のピンクの舌の上にそれを乗せてやる。
クッキーを噛みしめその甘い味に嬉しそうに顔をほころばす美奈子を見つめながら、なるは涙ぐむ。
再び口を開いて催促する美奈子に更に１枚のクッキーをほお張らせる。
さらにバルコニーの手すりから身を乗り出して、垢まみれの美奈子の頬を両手で撫でる。
見上げたなるの視線を美奈子の青い瞳が受ける。
「うさぎちゃんと同じ色の瞳ね、美奈子さん。今じゃ、うさぎちゃんを好きだった人は私のまわりではあなただけよ」
ああああ、あああ〜っ。
先ほどのクッキーを食べ終わったのか、美奈子はさらに口を開けてせがむ。
「ごめんなさい、もうこれで終わりなの」
なるは最後のクッキーを美奈子の舌の上に乗せると、その頬に抱きつき、そっと身を離す。
「ドアを閉めて」
鋼鉄のドアの外に出ると、なるはそこでおびえながら見守っていた妖魔に命じる。
待っていたとばかりに妖魔はレバーに飛び付く。
きしみを上げて閉まるドアの向こうから、なるの姿を求める美奈子の泣き声が、響き始める。
なるはネフライトの広い胸に顔を埋め、身を震わす。
ネフライトはマントを持ち上げ、なるの身に掛け、肩を支えて洞窟を歩き始める。
その歩み去る二人の後ろ姿を美奈子の泣き声はいつまでも追い続けていた。
「しらね」生存者・佐川妖魔一佐の脳から妖魔トルトルが直接読み取った映像によりセーラーマーキュリーの存在が確認された。
地下洞窟の美奈子のデータからも、妖魔の強制合体攻撃を受けたセーラー戦士達は巨大化していることが考えられた。
どうやら体内に侵入した妖魔の細胞にセーラー戦士の身体が拒絶反応を示し、その細胞に対抗するべく身体組織を巨大化させたのではないかと、思われる。
知性面での損傷も、脳組織が拒絶反応の際のなんらかの圧迫を受けていると考えられる。
「と言うと、妖魔を分離すると奴らはもとの大きさに戻るかも知るれんということか？」
巨塔の最上階に近い、巨大で冷え冷えとしたロビーにしつらえた円卓を囲み、妖魔軍団長のジェダイトがつぶやく。
「無理だわ」
ゾイサイトが反論する。
「あの時の妖魔はいわば特攻隊、妖魔として乗り移るつもりじゃなくて、細胞爆弾としてあいつらの身体を腐食させるつもりでの強制合体だった。もはや妖魔としての意思もなく合体も分離も不可能よ」
「結果としてセーラー戦士どもの身体に取り込まれてしまったと言うわけか」
クンツァイトが顎をなでる。
「冗談ではないぞ、ゾイサイト。おまえのくだらんアイディアのおかげで、あんな怪獣みたいな奴を相手にせねばならん前線のやつらの事を考えてみろ」
ジェダイトがいきりたつ。
「おまけに、この美奈子のデータを読むと身体の回復力も妖魔並みというではないか！」
「しかし２年前には確かに有効な手であった。あのときセーラー戦士どもを一掃したおかげで、ここまで一気に我らの侵攻が実現したことは否定できぬ。要はこれからの対応だ。その為の会議ではないか？」
ジェダイトへのクンツァイトの物静かな反論に、ゾイサイトはクンツァイトに視線を流し白い頬をかすかに赤らめる。
「それと・・・」
それまで沈黙を続けていたネフライトが口を開く。
「クイン・メタリア様の覚醒がせまっている。星々が正しいところを得、暗黒の太陽が降臨する日も近い」
メタリア。
それは彼ら自身にとっても謎の存在だった。
ただ、メタリアの預言者たるクイン・ベリルがその意思を知るのみであった。
かの者の復活以前に、この世をダークキングダムの支配する世界となす。
それが彼ら四天王に課せられた天命であった。
だが、その先は？
彼等自身が信じている妖魔千年王国をメタリアが統治するのであろうか？
星読みのネフライトにも、その先は何も読み取れなかった。
ただ、果てしない暗黒が未来へと広がっているばかりだった。
「なにが本当に起こるのだ？ メタリア様の降臨の後で」
ネフライトがつぶやく。
「ネフライト！ 貴様なにを言う。なるとか言う人間の女を囲うようになって、迷うたか！ 我らはベリル様を信じ・・・」
「やめろ、ジェダイト。星読みとはそういう者だ。奴にしか分からぬ迷いもある」
「しかし、クンツァイト・・・」
その時、慌ただしくロビーに駆け込んで来た者がいた。
その下級妖魔はジェダイトのそばに寄ると、何事かをささやく。
「なにっ！ セーラーマーキュリーが上陸！」
四天王全員が椅子から立ち上がる。
視線が報告者の妖魔に矢のように集中する。
「霧にまぎれて分からなかっただと！？ たわけっ」
ジェダイトのかっと開かれた手の平の上に毒々しい炎の球が生じる。
下級妖魔は目を見開いて硬直する。
「およしなさい、ジェダイト。それよりあたしにいい考えがあるわ。浦和良を呼びなさい」
窓際に身を移したゾイサイトが窓の外の闇を、海の方角に視線を飛ばしながら語
る。はるか品川の方角に青い光が闇を通して花火のように瞬いている。墨のような東京の空を飛行妖魔の軍団が、そちらへ向かって赤や紫の軌跡を糸のように残して、結集してゆきつつあった。
闇の中に、破壊された湾岸設備の表面を覆う氷が妖魔軍の打ち上げた照明弾の光に煌めく。その闇を背景に、照明弾の光に浮かび上がった３０ｍの巨大な体躯が虚空をしなやかに舞う。
青いブーツの脚が軽やかに廃墟のただ中に舞い降り、身を構える。
静止したセーラーマーキュリーの青い瞳が素早く周囲に視線を走らせる。
肘まである純白のソフト・グローブの回りに白い冷気が螺旋を描く。
凄まじい破壊の跡であった。
マッハの水流を鞭のように操り、マーキュリーは妨害物も妖魔軍も全て凪ぎ払っていた。旧自衛隊や在日米軍の戦車、戦闘機で武装した妖魔軍の攻撃など、ひとたまりもなく蹴散らされた。
もとより生身の妖魔の能力が通用する相手ではない。
粉砕され水浸しになった残骸をさらに硬質の冷気が襲いかかり、瞬時に凍結させた。
上陸時に破壊された旧東電品川火力発電所も、崩れ落ちた東京モノレールの架線も、品川駅の田町電車区も今は不規則な半透明のオブジェ群と化していた。
マーキュリーがたたずむ品川駅前のホテル群であった瓦礫は既に氷の煌めきに覆われ始め、その足元を急速な冷気で発生した靄が流れている。
既に妖魔軍は一時退避に移行し、攻撃の音も既に止んで久しい。
と、マーキュリーの目前にバイザーが出現する。
バイザー越しにマーキュリーは周囲をゆっくりと見回す。
バイザーの表面に走査光点がしばし瞬く。
唇の端にふと笑みを浮かべるやバイザーが消え、マーキュリーは静かに十番町のある方角に向かって歩き始める。
その顔のアップがモニターに映る。
「マーキュリーの奴、恐ろしい強さが出てきたわね」
モニターの明かりにゾイサイトの顔が闇に浮かぶ。
「セーラーマーキュリー・・・」
ゾイサイトの隣で浦和良がモニターに映るマーキュリーの顔に息を飲む。
マーキュリーの上陸した品川と十番町の中間地点、高速２号線が大きく曲がる古川橋に旧自衛隊の重兵器・メーサー砲戦車が３台、そのパラボラアンテナを南に向けて待機していた。
指令車のコクピットにはゾイサイトと浦和良とが並んで座り、望遠カメラからのマーキュリーの映像を見つめていた。
かっての妖魔七人衆の一人であった浦和良は既に妖魔としての力も予知能力も失ってはいたが、それでも他の人間達よりは恵まれた待遇を受けていた。
いきなり真夜中に呼び出され、訳も分からないままにここへと連行され、モニターの中の変わり果てたセーラーマーキュリーに再会し、浦和は混乱していた。
「セーラーマーキュリー？」
ゾイサイトは浦和のつぶやきに唇を歪める。
「違うでしょう。あなた、彼女を水野さんって呼んでいたでしょう？」
浦和は怯えて振り返る。ゾイサイトの意図が分からない。
ゾイサイトはポケットから１枚の写真を取り出す。
「あなたの部屋にあったわ。可愛い子ね。水野さんって」
目の前でヒラヒラと振られたその写真に、浦和の目が大きく見開かれる。
平和なあの時代、水野亜美に最後に仙台行きのホームで別れを告げた時、亜美からもらった彼女の写真であった。
いつも、折りに触れては何度も見返していた写真である。
部屋の机の奥に隠してあったものだった。今夜寝る前にも確かに確認していた。
「返すわ」
浦和の動揺する顔を楽しむように眺め、ゾイサイトは指先で写真をピンと弾く。
あわてて浦和はそれを宙でとらえる。
「どお、その可愛い水野さんの事で浦和君にお願いがあるの」
ゾイサイトは脚を組み代えて浦和に正面から向き直り、艶然と微笑む。
「ゾイサイトの奴、何をやる気だ」
十番町の暗黒塔でジェダイトがつぶやく。
電子機器の助けも借りず、ジェダイトとクンツァイトの眼前にゾイサイトと浦和の大写しが浮かぶ。
「まかせておけ。ああ見えても奴の読みは深い・・・それより」
その時、ロビーに足早に駆け込んで来た者がいた。
「申し上げます！ たった今、日本アルプスの八ケ岳山麓で核爆発レベルのエナジーの発生が観測されました。そこで発生した巨大な放電体が一直線に東南に向かっております！」
「つまり、ここへ向かっているのだな。速度は？」
青ざめた妖魔へクンツァイトはあたかも予期していたがごとく冷静に問いただす。
「推定で時速４００キロ！ 放電体の全長は電波妨害されて不明です！」
「クンツァイト、まさか」
「そのまさかだ。ジェダイト、厚木基地にスクランブルだ。指揮はまかせた」
緊張したジェダイトにクンツァイトは振り返りざま苦々しげにうめく。
駆け込んで来た下士官妖魔を促してジェダイトが指揮本部に駆け出そうとした時だった。
ズンッと鈍い地響きが塔を揺らす。
「まさか！ もう」
引き攣った顔でジェダイトが振り返る。
「違う！ 地下だ。俺がやる。上は頼む、４００キロなら直線で２０分ないぞ！」
言い残すや、マントを翻したクンツァイトの姿はかき消えた。
暗黒塔直下の地底の縦穴から、凄まじい吼え声が響く。
鈍い地響きが壁を揺らす。
「何事だ！ この騒ぎは」
牢番の２名の妖魔の前にクンツァイトが実体化する。
「クンツァイト様！美奈子が突然暴れ始めて。手がつけられません」
救いを求める目で牢番達はクンツァイトを仰ぎ見る。
その手はオレンジ色の光の漏れる黒いドアを指差す。
「開けろ、ドアを」
弾かれたように１人が配電盤に飛び付く。
鋼鉄のドアは重い音を立てて開いてゆく。
縦穴内部を満たしたオレンジ色の光がドアの隙間から洞窟内に流れ込む。
クンツァイトはたじろぎも見せず、開いたドアから縦穴内上部に設けられたバルコニーへと進む。
全長３０メートルの裸身を弓なりに反らして天井を仰ぎ、喉の裂けるような吠え声をあげ続ける美奈子が目の前にいた。
両手首は床からの鎖で肩までは上がらないながら、背中にまで振りかぶられていた。
ひときわ鋭く吠えると、美奈子は全身ごと両握りこぶしを眼前の壁に叩きつけた。
鈍い地響きがクンッアイトの立つ鋼鉄製バルコニーの足元をも揺らす。
背中を丸めて内壁に突っ伏した美奈子の、叩き付けられたままの両こぶしにクンッアイトの目が光る。
血まみれのこぶしの下の壁面には既に亀裂が生じていた。
突然、クンッアイトの背筋が凍り付く。
脂だらけのもつれた髪の陰に隠れ突っ伏した顔から、青い瞳が横目で自分を見上げている。
瞬時に後ろへと跳びのいたのと、がっと開いた美奈子の口がバルコニーに襲いかかるのは同時だった。
ドアの外に彼の身体が跳び出した瞬間に、バルコニーに美奈子の歯が音を立てて喰いつく。太いパイプの手すりも鉄製の床材もめりめり歪み始める。
むっとする美奈子の熱い吐息がドアから吹き出す。
「かあっ！」
クンッアイトはその開いたドアの向こうの美奈子の口中へとエナジー球を打ち込む。
耳をつんざく悲鳴を上げて美奈子の巨体は背後の壁面へと叩き付けられる。
「何をしている！ 電流を流せ」
首を後ろにねじ曲げ、クンッアイトは牢番に叫ぶ。
「もうやっております！」
牢番の悲鳴にクンッアイトは舌打ちして配電盤に歩み寄る。
「すでにいつもの倍の電圧を掛けております。それでもあの状態です」
牢番の釈明をよそに、クンッアイトは次々と配電盤の制御ロックを外してゆく。
「奴は電気に耐性が出来ている。十万ボルト程度ではもうきかん」
新たに設定された電圧値に牢番達は目を剥く。
「それでは美奈子は死んでしまいます！ それに我々とてこの絶縁では巻き添えを喰って」
「かまわん！」
ためらいもせずクンッアイトはギロチン・スイッチを引き倒す。
凄まじいスパークが縦穴内に炸裂した。
前屈みになって口を両手で押さえ呻いていた美奈子は爆発的にのけ反った。
後頭部が背後の壁面に打ち付けら、全身が信じられない程弓なりに反りかえる。
放射状に広がった頭髪の先端部から周囲の壁に向かって電弧がうねる。
引き開けられ歪んだ口は悲鳴すら上げずに道化じみてわななく。
太い樹木の根のような赤い電流の触手が全身を這い回る。
はためく電光と連続する炸裂音の中、クンッアイトは周囲に張ったバリアーの中から美奈子の様子を見つめていた。
その腰には２人の妖魔が震えてしがみつく。
ぐるっと美奈子が白目を剥いた時、ようやくクンッアイトはギロチン・スイッチを元に戻した。
開き放しのドアの向こうで美奈子の身体がずるずると下に沈んで行く。
突然回復した静寂の中、濃いオゾン臭と肉の焦げた匂いが鼻をつく。
クンッアイトは再びドアを越え、ねじ曲がったバルコニーから縦穴を見下ろす。
うっすらと煙の漂う穴の底に美奈子の巨体が壁を背に崩れ落ちていた。
が、その胸はふいごのように動き、苦しげな呼吸音が縦穴に重く響く。
「バケモノが」
吐き捨てるように言い残すと、クンッアイトはマントをひらめかせて姿を消した。
星空を背景に薄緑の微光を放つ巨大な影が関東平野の宙に舞う。
時速は４００キロ、全長は約４０メートルはあろうか。
飛行しているわけではない。
巨大な放物線を描いて跳躍しているのだ。
着地のたびにその物体から眩い緑がかった閃光が爆音と共に放たれ、周囲を真昼のように照らしだす。
その瞬間浮かび上がる物体のシルエットは人間の、それも少女の姿をかたどる。
だがそれも瞬時の事で、巨大な影は次の目標地点へと跳躍する。
闇に沈む関東平野は無人の荒野であった。
かってこの地に広がって生活していた人間達は妖魔によって駆り集められ、各地に少数点在する強制労働とエナジーを吸い取られるためにだけに生かされている人間牧場に収容されていた。
その漆黒の平原を突き進む巨大な影の行く手に、旧厚木基地からスクランブル発進した妖魔軍のＦ16が舞い上がる。
暗黒塔の指揮本部に直結したドアが開いた。
ドアから妖魔軍参謀総長のネフライトが現われる。
ドアの向こうにネフライト専用瞑想室の星々のまたたく闇が覗く。
ネフライトは指揮本部で妖魔達と共に乱れたスクリーンを食い入るように覗き込むジェダイトへと足早に近付く。
「ジェダイト、木星が活性化し始めた」
「分かっている！ 今、こっちに向かっているところだ」
ジェダイトは振り返りもせずに、いらだたしげに応える。
「待て？ 何の話だ」
怪訝そうなネフライトの声に初めてジェダイトは振り返った。
青ざめたネフライトの顔がスクリーンの照り返しに浮かび上がる。
「以前、シューメイカー彗星群が衝突してから木星の様子が変だったのだが、とうとう活動し始めた」
「それか！ 奴が動き始めた訳は」
硬い表情で語るネフライトの言葉に、ジェダイトは目を光らせる。
ふいに目前の判別しがたく乱れた画像を表示し続けていたスクリーンが真白に変わる。
「ジェダイト様！ 厚木基地からの交信が途絶えました！」
妖魔の悲鳴がそれに続く。
浦和良はモニターの画面を食い入るように見つめていた。
病院のような部屋の壁に、上半身裸で両手両足を開いて固定されているのは良の父親であった。
彼の目は恐怖に見開かれて、目の前のテーブルの上の「もの」を凝視していた。
１分程前までは白猫だったそれは、全身が崩れ落ち、肉汁とうごめく筋肉の塊と化していた。
溢れた内臓がテーブルの上を流れ、縁から床へと垂れ落ち濡れた音をたてる。
良の父親に、テーブルのかたわらにいた妖魔が近付く。
その手に持った注射器に見開かれた彼の目が貼り付く。
「ハンセン９５、あたし達が開発した奔馬性癩病菌の培養液よ。どお、浦和君。お父様がああなるところを見たい？」
ゾイサイトは舐めるように浦和の横顔にほほえみ掛ける。
「やめてくれ！」
顔を歪めて叫んだ彼の声は、しかし判別できないほどかすれていた。
「それじゃ、了解ね」
ゾイサイトは浦和の顎を鷲掴みにすると、力任せに上向かせ自分の顔を接触するほど間近へ寄せる。
冷ややかな両眼が浦和の眼底を覗き込む。
「さっき言ったとおりになさい。 トルトル！」
浦和から視線を外さないまま、後ろに控えた妖魔に合図する。
サイコ妖魔・トルトルはゾイサイトに顎を掴まれたままの浦和の背後に周り、自らの頭部から無数に生えた触手をざわめかせながら浦和の頭部に這わせる。
セーラーマーキュリーは高輪の高台を越えて魚籃坂下に至り、その全身をメーサー砲戦車群の視野にさらしていた。
古川橋に展開し、既に高電圧にうっすらと赤みがかかった輝きを放つ巨大な３つのパラボラ・アンテナを目にし、マーキュリーは立ち止り口元を歪めるや両手を胸の前で組む。
急激に気温が低下し始めた。
その時だった。
マーキュリーとメーサー砲戦車群の中間の空間に、マーキュリーと同じ身長の浦和良の姿が浮かび上がる。
思わずマーキュリーは腕の構えを崩す。
「水野さん」
間髪を入れず浦和が語りかける。
「僕です、水野さん。浦和良です。覚えていますか」
マーキュリーの表情にとまどいが浮かぶ。
「水野さん、会いたかった。あれからずっと水野さんのことを考えていたんだ。無事に生きているんだろうかって・・・」
「あ・・・」
短い声がマーキュリーの唇から漏れる。
その目が構えをほどいた自分の両手にぎこちなく落ち、さらに眼下の夜の街を見回す。
「いいわよぅ、浦和君」
ゾイサイトがモニター画面に向かってほくそ笑む。
その隣でトルトルの触手に頭部を覆われた浦和が、外の映像と同じ姿で立ち、同じ言葉を語っていた。
「マーキュリーの戦闘体勢、待機中」
小声だが緊迫した声が解析モニターを覗いていた妖魔戦闘員から放たれる。
「水野さん！ どんな姿でもいい、元気でいてくれれば。そう思い続けていたんだ。でも、でもこんな・・・」
浦和の声が裏返り途切れる。うつむき、歯を食いしばり、両手が固く握り締められ、その手が震えだす。
「だめなんだ、もう。戻れないんだ！ あの頃には」
弾かれたように顔を上げた浦和の締めつけられるような叫びがマーキュリーの耳に突き刺さる。
立ち尽くす浦和の両眼からは涙が溢れ、伝い落ちる。
その浦和の顔を見つめるマーキュリーの口元が歪む。
「お願いだ！ 海へ帰ってくれ。もうこれ以上、僕を苦しめないでくれ！」
全身から搾り出すように浦和は絶叫する。
マーキュリーは目を見開いて浦和を見つめる。
こぶしを握り締めたまま立ち尽くす浦和へと、マーキュリーは両手を広げて歩みだす。
唇は半開きになり、言葉をしゃべるかのように、ゆっくりと動いている。
その両手が浦和の虚像の肩にかかろうとする瞬間だった。
「今よ！」
ゾイサイトの号令が、指令車のコクピットに響く。
間髪を入れず、３台のメーサー砲戦車のパラボラ・アンテナから轟音と共に青く輝く高周波ビームが浦和の虚像を貫き、一直線にマーキュリーに襲いかかる。
２本のビームは両足に、１本は胴体に命中し、凄まじい悲鳴がのけぞったマーキュリーの喉から吹き出す。
足を襲ったサーボ・コントロールされた２本のビームは白い肌を焼き焦がしつつ、すばやく膝関節部を舐め回す。
悲鳴を上げながらマーキュリーは横ざまに地面に崩れ落ちる。
が、左手で上半身を支え起こすや、メーサー砲戦車隊へと右手の平を突き出す。
突き出された手に冷気が集中し、高速の白い渦を巻き始める。
瞬間、その手の平へと一直線にビームが突き刺さり炎を吹き上げ、さらにもう１本のビームは身を支える左腕の肘関節を襲う。
どう、とマーキュリーの全身が地面に伏す。
「水野さん！」
浦和の虚像がマーキュリーに向かって絶叫する。
メーサー砲戦車隊の前に横倒れになったマーキュリーの全身を３本のビームが踊るように舐め回し焼き切ってゆく。
マーキュリーは血だらけの両腕で頭を庇ったまま、長く尾を引く絶叫をあげ身をよじる。
もがいて身体をくねらせても、サーボ・コントロールされたビーム束はその動きに追随し、焼き抉られた傷口を全身へと広げてゆく。
鼻をつく肉の焦げる匂いが熱気の中、周囲一帯に広がって行く。
「やめろ！ やめてくれ！」
虚像の浦和がメーサー砲戦車へと反転し、マーキュリーの前に立ちふさがって両手を広げる。
その虚像を貫いて舞い踊るビーム束は、さらにマーキュリーを引き裂き続ける。
すでにマーキュリーの悲鳴は細いかすれ声と変じている。
「やめてくれぇえええ・・・」
浦和はしゃがみ込み、背を丸めて両手で地面に爪を立て、声を絞り出す。
「いろんな芸当をしてくれる子ねえ」
ゾイサイトはコクピットの鉄の床に爪を立ててぶざまにしゃがみ込み、泣き叫ぶ浦和を楽しそうに見つめる。
ふと放電が止む。
「電圧値低下、再チャージ時間２分！」
ゾイサイトが操作卓へと首を曲げたのと、オペレーターが叫ぶのが一緒だった。
「攻撃停止、急速充電」
号令し、ゾイサイトは再びモニターへと顔を戻す。
「ゾイサイト様、本部との連絡がつきません」
通信担当オペレーターが続いて叫ぶ。
「メーサー砲のエナジーで空電が乱れているのよ。かまわないわ、本部からはこちらが見えているんだから」
ゾイサイトは振り返りもせず、笑みを浮かべてモニターを眺め続ける。
ふいに訪れた静けさに、浦和は突っ伏していた地面から顔を上げる。
メーサー砲戦車群はダイナモの鈍い唸りを上げたまま静止し、三基のパラボラアンテナが薄赤く余熱を放っている。
後ろに顔を回すと、両腕で頭を庇って突っ伏したマーキュリーの身体は間断なく痙攣している。
ぞっとするような傷口が全身に開き、そこから白い煙が漂う。
「水野さん！」
這うように浦和はマーキュリーへと近付く。
そっとマーキュリーの肩に触れるが虚像の手はなんなく身体を通過する。
「水野さん、こんなことになるなんて・・・許して、僕のせいなんだ。水野さん、起きて！ 逃げるんだ。起きて、早く、水野さん、水野さん！」
触れることもできないマーキュリーの両肩をつかみ、浦和は必死にマーキュリーをゆさぶる。ゆさぶるしぐさを続けても動くのは浦和の虚ろな腕のみで、マーキュリーの身体は痙攣したまま、身を伸ばそうともしない。
ただ浦和のかすれた声だけが静寂を乱す。
ふと、マーキュリーの頭が動く。
震えながらゆっくりと顔が起き上がり、青い瞳が屈み込む浦和の顔をとらえる。
「目だ！ 目を狙うんだ！」
戦場を遠巻きに集まり覗いていた有翼の妖魔の子供達が、小賢しくはやしたてる。
夜空をついて遠雷のような轟きが近付いてくる。
「いいわよお、浦和クン。マーキュリーの顔を上げさせて。トルトル、おさがり！」
ゾイサイトはコクピットの床に屈み込んだ浦和の頭から、トルトルの触手を引かせた。
湿った音と共に触手が離れると、浦和は一瞬腑抜けのようになり、次いで弾けるように立ち上がる。その目は突然視界から消えたマーキュリーを慌ただしく探し回る。
「大活躍だったわね、浦和クン。ほら、モニターをご覧なさい」
ゾイサイトは笑みを浮かべてモニターを指し示す。
画面の中では身を丸め痙攣しながら、浦和の消えた空間を見上げるマーキュリーの顔のアップが映し出されていた。
先ほどからのくぐもった低い轟きはマーキュリーの周囲から沸き上がり、地面を、ビル群を震わせていた。
ふいにその音が明瞭に響き始める。
同時に周囲のビル群の上空にマーキュリーを円形に取り囲んで、十数機の戦闘ヘリコプターの群れが出現した。
どの機も両脇にミサイルを抱え込み、バルカン砲の銃口を光らせる。
円周上の配置で彼らはホバリングしたまま、全火器の照準をマーキュリーに向ける。
自らの血だまりに倒れ伏したまま、爆音の轟く空を見上げるマーキュリーに絶望の表情が浮かぶ。
指令車のコクピットのモニターに映るマーキュリーの顔に３つのターゲット・グリッドが重なりロックされる。
「ごらんなさい。もうマーキュリーはあの場所から動けないわ。これから戦闘ヘリでなぶり殺しよ。通常兵器だから死ぬまでに随分かかるわね。可哀相よねえ」
ゾイサイトは喉を鳴らして笑う。
浦和は自らの顔を両手で覆う。その手の下から嗚咽の声が漏れる。
「僕の・・・僕のせいで、水野さん・・・」
嗚咽の切れ目に聞き取りにくいうめきが混じる。
「チャージ完了！」
オペレーターからの連絡を聞き流し、ゾイサイトは浦和から目を離さない。
ふと手を伸ばして浦和の肩に置き、口調を変えて語りかける。
「いいわ、あたしにも慈悲はあるのよ。ここに座りなさい」
呆然と浦和は顔を上げる。
ゾイサイトはモニター前の操縦席を指し示す。
おずおずと浦和はそこに腰をおろす。
眼前のモニターにせつなげに歪むマーキュリーの顔が映し出されている。
口は半開きのまま、全身で細く搾り出すように息をついているありさまが明瞭に描き出されている。
「マーキュリーの命を助けることが出来ないことぐらい、分かるわね。でも楽にしてあげることは出来るのよ。そのボタンをご覧なさい」
ゾイサイトはコントロールパネル右側のブリッジ状の２本の金具の間にセットされた赤い押ボタンを示す。
「このまま、戦闘ヘリで総攻撃を開始すれば、どんな死にザマになるかは分かるわね。でもこの３台のメーサー砲戦車の照準は全部マーキュリーの頭部にロックされているの」
浦和は息を飲む。モニターのマーキュリーの顔の上に重なった３つのターゲット・グリッドと赤い押ボタンとを、呆然と比べる。
「そのボタンを押すと、３台の戦車からのビームが収束して一瞬でマーキュリーの頭部を焼き尽くすわ。痛みすら感じないほどの一瞬よ」
浦和はゾイサイトの顔を見上げる。口元がわななくが声が出ない。
「あなた、水野さんが好きだったんでしょう？あなたにボタンを押させてあげる。最後に楽にさせてあげなさい」
ゾイサイトは唇を歪める。
「５つ数え終わるまでに押さなければ、戦闘ヘリでの総攻撃を始めるわ。５っ！」
浦和は絶望的にゾイサイトを見上げる。「待って」とかすれた声が漏れる。
「何をしているの？ ４っ！」
はじかれたように浦和はコントロールパネルに向き直る。
震える右手が赤いボタンへと伸びる。
「３っ！」
「水野さん・・・許して」
呻く浦和の右手の人差指はわななき、ボタンの上に位置が定まらない。浦和は左手を右手の上に重ねてボタンに人差指をのせる。
戦闘ヘリコプターの爆音が凶暴に轟き、周囲のビル群を超低音で震わせる。
その音に圧せられたようにマーキュリーは血まみれの手足を身体に引き付け、少しでも身体を小さくしようと丸める。
怯えた青い瞳は既に頭上の空を見上げることもなく、メーサー砲戦車群を、さらにそれを越えた十番町の方角をぼんやりと見つめる。
そのメーサー砲戦車のパラボラ・アンテナの輝きが増し始める。
マーキュリーの口が何かを語るようにゆっくり動く。
「ふ〜ん、『みんな』ね・・・」
モニターに映るマーキュリーの口の動きを眺めて、ゾイサイトはつぶやく。
「２！」
強大な電圧が掛かったパラボラ・アンテナから、余剰電力が細かい稲妻を周囲の金属物へと走らせる。
鼻を刺すオゾンの匂いが周囲に広がる。
「１！」
浦和はボタンに人差指をのせたまま、ゆらりと立ち上がる。
その肩に力がこもる。
歯を食いしばり歪み切った顔で、それでも目を裂けんばかりに見開いて、眼前のマーキュリーの顔を見つめる。
「ゼロ！」
「亜美さんっ！」
叫ぶと同時に浦和は身を突っ伏し全身でボタンを押し下げた。
凄まじい白光と轟音が炸裂した。
幾千もの柱のような稲妻が周囲一帯の道路と言わず建物と言わず無秩序に突き刺さる。
暗黒の空へ向かって稲妻が樹木のように枝を伸ばして続々とつかみかかる。
真昼のような光の中でメーサー砲戦車のパラボラ・アンテナが瞬時に消し飛び、次いで車体が内部から炸裂し、煮えたぎった残骸が路面に撒き散らされる。
ホバリング中の戦闘ヘリコプター群も抱えたミサイルごと空中で次々と炸裂する。
コンクリート内の鉄骨が誘導電流で白熱し沸きたち、ビル群が次々と爆炎と共に崩れ落ちる。
街路を大小の稲妻がはためき、舞い広がる。
白光が消え長く尾を引く超低音の爆音が去ったとき、倒れたマーキュリーの手前に仁王立ちになった巨大な影が出現していた。
マーキュリーよりも一周り大きく、身長は４０ｍ近くあろうか。
周囲で燃える廃墟、白い炎を吹きあげて燃えるメーサー砲戦車や戦闘ヘリコプターからの光に照らしだされたそれは、しかし少女の姿をかたどっていた。
マーキュリーと同じ形のセーラー型戦闘服の緑のスカートから長い足が緑のブーツにまで伸び、大地を踏みしめていた。
ポニーテールを垂らした頭部の面長な顔は引き締まり、その碧の瞳は油断なく周囲を見回す。
「セーラージュピター！ 現われおったか」
暗黒塔のロビーに安置された椅子ほどもある灰色水晶。その上に浮かぶ画像に映ったセーラージュピターの姿にクンツァイトが叫ぶ。
ゆら、と画像が一瞬歪み、そこを突き抜けてゾイサイトと浦和が実体化する。
ゾイサイトの右腕は浦和の襟首をつかんだままだった。
二人とも出現するなり、その場に崩れ落ちる。
浦和は既に失神していたが、ゾイサイトは気丈にも顔を持ち上げる。
「ゾイサイト！ 」
「申し訳ありません。クンツァイト様、まさかあんな奴が現われるとは。とっさに脱出しましたが・・・他の妖魔達は」
「済まぬ、ゾイサイト。空電で警告が遅れた」
クンツァイトは片膝をつき、ゾイサイトを我が身に凭れ掛からせる。
「くそっ！ 首都防衛軍は壊滅だぞ。魚籃坂下に向かっていた残存兵力を緊急退避させろ！」
ジェダイトがロビーに直結した指揮本部のオペレーターに吠える。
「ジェダイト様、空電が激しくて全く連絡がとれません！」
開いたままのドアの向こうのオペレーターが乱れたディスプレイ群の前で狂ったようにツマミを調整しつつ、悲鳴を上げる。
「それより、奴の姿を追え」
宙に浮かぶ画像をにらみ、ネフライトが注意を促す。
セーラージュピターは倒れ伏したマーキュリーの隣に膝を落としていた。
爆音の衝撃でかマーキュリーは頭を抱え、身体を丸めて失神していた。
ジュピター腕が延び、手の平がそっとマーキュリーの頬を撫でる。
マーキュリーの全身に衝撃が走る。
目が開き、ジュピターの足から、身体、顔へと視線を移して行く。
覗き込む碧の瞳と見上げる青い瞳とが見つめ合う。
ジュピターの目元に穏やかな表情が浮かぶ。
身を屈め、両腕を血まみれのマーキュリーの腿と肩の下に伸ばし、抱きかかえ、そのまま軽々と立ち上がる。
凄まじい苦痛が走った筈なのにマーキュリーはわずかに顔を歪めただけで、おとなしくジュピターに身をまかせ、赤子のように抱きかかえられる。
「まずい！」
ジェダイトが歯軋りをする。
「今、奴にここを攻撃されたらひとたまりもないぞ」
魚籃坂下から十番町までは、ジュピターの足ならそれこそ目と鼻の先であった。
「ゲートから攻撃を加えましょう」
将校の一人が、ジュピターの姿を写す画像ゲートを指差す。
「馬鹿者！ 今は奴が立ち去ることを祈れ」
ジェダイトが噛みつく。
ジュピターはマーキュリーから再び周囲へと視線を戻す。燃え続ける廃墟群、さらにその周囲を覆う闇に沈んだ東京の街へと油断なく目を走らせる。
宙に浮かんだ画像に写ったジュピターのその視線がピタリと四天王達を正面から見つめる。見る見るその表情が険しく引き締まる。
ロビーとその後ろの指令室にいた全員は、巨大な視線に見据えられ凍り付いたように声もない。
「まさか・・・向こうから見える訳がないはずなのに」
ジェダイトがかすれた声でつぶやく。
ジュピターの額のティアラの中央から放電アンテナが伸びる。
「ゲートを閉めろ！ 奴はゲートの漏れエナジーに気付いた」
はっと気付いたクンツァイトがジェダイトに叫ぶ。
弾かれたようにジェダイトが画像の直前の床に置かれた灰色水晶に飛び付くのと、放電アンテナが閃光を発するのが同時だった。
瞬時に薄らぐ画像の窓から純白のビームが吹き出し、ロビーを突き抜け、指令室の内部を直撃する。直後に指令室内の電子機器が同時に内側から爆焔を吹き上げる。
次の瞬間、灰色水晶はかかえたジェダイトの腕の中で砕け散った。
「ジェダイト！」
吹き飛ばされ緑の血を流す顔を押さえて横たわるジェダイトにネフライトが駆け寄る。
ジュピターは攻撃の反応を確認するように、しばし電撃を放った虚空をにらんでいたが、やがて目を腕の中のマーキュリーに戻した。
マーキュリーは今や身をジュピターに任せたまま目を閉じていた。
その呼吸が続いていることを確認するや、ジュピターはマーキュリーを抱き上げたまま、暗黒塔の方角に背を向け、歩きだした。
「まずいぞ、この傷は」
しゃがみこんだネフライトはジェダイトの頭を膝の上に乗せ、顔の傷口をあらためる。
「ただの傷ならともかく、ベリル様の魔力を注がれた灰色水晶だ。じっとしていろ。今エナジーを注入してやる」
「くそっ！ 奴はどこだっ」
押さえ込むネフライトの腕の下でジェダイトは顔を歪めて叫ぶ。
「動くな！ ジェダイト」
起き上がろうとする力を更に押さえ付け、ネフライトはジェダイトの裂けた頬に押し当てた右手からエナジーを注入し続ける。
「偵察の妖魔を飛ばせ！ 奴の行方を追え！」
クンツァイトは背後の妖魔達に叫ぶ。
直撃を受けた指令室は煙を吹き上げ続け、その中にいた上級妖魔は全滅だった。
たまたまロビーに出ていた者、および爆発音で暗黒塔の各所から集まってきた妖魔達はあわてて指示に従った。
十数名の有翼の妖魔が即座に選ばれて夜の空へと散って行った。
だが、彼らが戻ってくることは二度となかったのだ。
偵察の妖魔が飛び立ったのを見送ったあと、クンツァイトは長椅子に横たわるゾイサイトのもとに寄る。
すでにジェダイトは部下達によって寝室へと運ばれていた。
「済まん、ゾイサイト。奴の接近を知らせることが出来なかった」
ゾイサイトの肩に手をのせたクンツァイトの声にいたわりの響きがこもる。
その手から静かにエナジーが注ぎ込まれる。
「もったいのうございます。私の方も油断しておりました」
そのクンツァイトの手にゾイサイトは自分の手を重ね、苦しげに語る。
「奴はとりあえず立ち去ったようだが、必ずまた来る。それもマーキュリーと一緒にだ。どう見る？」
「マーキュリーはあの傷です。棲家と思われる海へは今は戻れないでしょう。おそらくジュピターは山へ連れてゆくと」
「そうだろうな。美奈子の実験データでは１週間であの傷は回復する。その前に対策を打っておかないと」
「おまかせ下さい。私に策があります」
「そいつか？」
クンツァイトは長椅子近くの床に毛布をかぶったまま昏睡を続ける浦和良に顎をしゃくった。
「はい。仮にも最強妖魔の一人ブンボーを宿した身体。たとえ虹水晶を抜かれてもブンボーの痕跡は細胞に刻み付けられているはず」
「すると・・・あれをやるのか、溶融合体を」
クンツァイトの顔が引き締まる。
「はい、この際です。あれでなくてはあのモンスター共の相手は」
ゾイサイトの瞳に冷たい光が宿る。
「恐ろしい奴だ。おまえは」
「おまかせください。クンツァイト様」
艶然と微笑むゾイサイトにクンツァイトはうなづきかけ、ふと顔を歪め呟く。
「だがあと二人、セーラームーンとセーラーマーズがいる。あいつらはどこにいるのだ・・・？」
夜の相模湾の海上を白い航跡を残してジュピターは大戸島の方角へ進んでいた。
血がしたたり落ちるマーキュリーの身体を両手で頭の上へかかえ上げ、足だけによる力泳だった。
そのマーキュリーの腕がジュピター腕を弱々しくつかんでいた。
あたかも方角を指示するように時々その腕に力がこもる。
やがて闇の中で夜空の星の光のうっすらとした背景の沖合に大戸島の姿が浮かび上がる。
そこからは一直線に泳ぎ続け、小一時間ほどで大戸島の砂浜に上陸する。
ジュピターはマーキュリーをそろりと波から遠い砂浜に横たえる。
マーキュリーは長い吐息をつきながら、ゆっくりと身体を伸ばす。
その横に腰を下ろすや、ジュピターは期待するようにあたりを見回す。
「マーキュリーちゃん！ ジュピターちゃん！」
突然、黒い闇に包まれた岩壁の一箇所がドアの形に光を放ち、そこから一人の小柄な少女が弾かれたように飛び出し、二人の巨人に向かって駆け出してくる。
逆光の中におだんご頭から伸びた二本の長い髪の束が揺れるのが見える。
セーラージュピターは腰を浮かし、声にならない声をあげて両腕をその少女に向かって差し出した。
続く
以降続編予定
第二章 炎の魔女の帰還 （執筆中）
第三章 太陽と戦慄 （執筆中）
第四章 紅の王の宮殿 （執筆中）
終 章 ムーンチャイルド（執筆中）
同人サークル「瀬」
檸檬児
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2001-2-10