麻布十番の水野亜美
「返して！ 返して下さい！」
昼休み一人で参考書を読みふけっていた亜美から男子生徒達の一人が、つまんでそれを取り上げる。
顔色を変えて立ち上がった亜美をその生徒はせせら嗤い、後ろにいた仲間へと本を放り投げる。
机の角に腰を打ちつけながらそちらへ駆け寄った亜美の目の前で、その生徒は教室の反対側にいた仲間へと、さらに長い放物線を描いて放り投げる。
「返して！ やめて下さい！」
次から次へとリレーされる参考書を追って走りめぐる、亜美の虚しい悲鳴が教室内に甲高く響く。
教室の女生徒達はそんな亜美を薄ら嗤いながら眺めている。
クラスメートと話を交わすこともせず、ただ勉強にしか興味を示さないこの整った顔だちの少女を助けようとするものなどいない。
「返し、あっ！」
何人か目の生徒に向かって駆け寄った亜美が机に足を引っ掛け、大きな音を立てて机もろとも床に倒れる。
激しく身体を打ち付けたのか、亜美はそのまま動かない。
さすがに教室内は静まりかえる。
亜美の参考書を持った生徒が、おずおずと倒れた亜美へと近寄る。
「お・・・おい、水野、だいじょう」
思わず彼は口をつぐむ。
ゆっくり顔を起こした亜美が、血走った目で彼をにらみ据えたのだ。
思いがけない素早さで亜美は彼の手から参考書をひったくる。
のろのろ立ち上がったその顔は、既に蒼白に引き攣っていた。
裂けんばかりに見開かれた目が慌ただしく左右を見回す。
「あ、あたしはね！ 古代の月の王国の姫をお守りした４守護神の一人の生まれ変わりなのよ！ 本当ならあなた達はあたしに口をきくことすら出来ないのよっ！！」
唇を震わせながら放たれた、金属的な叫びが凍り付いた教室の空気をつんざく。
早退させられたマンションの自室で、今日も亜美は日記を書く。
放課後、１組の月野うさぎと６組の木野まこととでゲーセンに行って、パーラーに寄って楽しい時を過ごしたことを。
賢くはないけれど素直で愛らしいうさぎに惹かれる自分の心を。
そこにいるだけで頼りになって、細やかな心配りが身にしみるまことへの想いを。
信じられる仲間達に囲まれる、その身のしあわせを。
亜美の通う十番中学には、月野うさぎも木野まことと呼ばれる生徒も存在しない。
日記の中の火川神社などという、少女の巫女がいる神社もこの街には存在しない。
この街の仙台坂をのぼり切ったところにあるのは、氷川神社という名の小さな社だけだった。
目をうるませ頬染めて、今夜も亜美は日記を書く。
了
同人サークル「瀬」
檸檬児
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1995-2-7