赤い歯車
満州里近くの寒村で退役軍人の祖父と暮らす少女・李燕雲には友達がいました。祖父が規格外Ｂ級品として軍からの払い下げ品で買い取った先行者・タンクロウです。
こんな名前なのは、祖父が幼い頃に侵略して来た日本兵に可愛がられ、その時にもらった日本の漫画の中で読んだ万能ロボットの名前だったからと言います。
タンクロウは毎日痩せた土地を燕雲と一緒に牛のメイメイを手伝わせて耕していました。
燕雲の夢は巡回映画会で見た西部劇のように沢山の牛を飼う大牧場を持つことでした。
そこで、タンクロウにカウボウイのような投げ縄を覚えさせました。いつか沢山の牛達を飼った時には映画で見たように投げ縄で自由自在に牛の群れを操ることを夢見てです。
タンクロウのロープに狙われたら森の兎や狐も逃げられません。おかげで燕雲一家は貧しいとは言っても飢えることなく暮らしてゆけました。兎は肉になりましたし狐の毛皮は町でいい値段になったからです。
タンクロウは村の人達の間でも人気者でした。軍用だけあって頑丈で正確な動力部から燕雲の祖父がシャフトを伸ばして胸につけた歯車は、井戸から水を汲んだり、粉を轢いたりする時にアタッチメントを付けて農機具として使われていましたが、普段は赤く塗られた１枚の歯が時計がわりになっていたからです。
１日の仕事が終わると燕雲はタンクロウをきれいに掃除して油を差してやりました。そうするとキリキリという動作音も軽くなり、燕雲にはそれが上機嫌な様子と聞こえたのです。
いつまでも続くと思っていたそんな生活も終わりを告げました。
戦争が起こり、タンクロウは軍隊に徴用されてしまったのです。
燕雲に出来ることはトラックの荷台に乗るタンクロウの首に花の輪を掛けて見送ることだけでした。その花輪も部隊に着いた時に捨てられてしまいました。
数年経ち戦線はようやく有利に転じたものの、各地に散った敵の残存勢力は半ば野盗と化し集落を襲っては散発的な占領と逃走を繰り返す泥沼の様相を帯びてきました。
先週も燕雲の住む村から50キロ離れた大きな町が敵に襲われ制圧に投入された先行者の一個中隊が全滅させられたとのニュースが入ったばかりです。
敵は先行者の電子脳を狂わせる新型のジャマーを使っていたのです。
その直後に投入された人間の軍隊により敵は大敗し、逃亡したものの行方が知れないことが近隣の村の不安を掻き立てていました。
その頃、荒らされた町から燕雲の住む村へと広がる森林の中を這い進む影がありました。
両脚を失い可動部の油も切れてギイギイ軋みながらも這い進むその胸には１枚の歯が赤く塗られた歯車がそれでも正確に回り続けていました。
変わり果てたタンクロウです。
タンクロウは各地を転戦した後、こちらの地方に配属されていたのです。
敵襲を受けた時、規格外Ｂ級品であったタンクロウには高度な電子脳はもともと搭載されていなかったので敵のジャミングによる損傷は軽度であったものの、火器による攻撃で脚部を失いうち捨てられたのでした。
今は体内の単純なジャイロスコープに記憶された帰還ポイントである燕雲の村へと戻っているところでした。
動力源の大半を失い、ＣＣＤアイへと写る画像も既に霞みがちになりながら、タンクロウは腕を動かして這い続けました。
燕雲はメイメイを連れて畑を耕していました。戦時とは言えやはり働かねば食べてゆけません。
ふと畑の外れの薮が奇妙な動きをしたのに気付きました。まさか大興安嶺から下りてきた満州虎ではないかとハッとした時です。薮からボロボロの服を着て自動小銃を構えた垢まみれの男達が４人飛び出してきたのです。
町を襲った敵の敗残兵です。
２人の男達がメイメイに飛びかかり鼻に通した綱を無理やり引き始めました。殺して食べるつもりなのです。メイメイの鳴き声が悲しげに響きます。
「メイメイッ！」と燕雲は叫びましたが、残りの２人の男達が彼女にむしゃぶりつき、地面にねじ伏せられてしまいました。
押さえつけられた顔をねじ曲げた先にメイメイの頭に自動小銃を向けた男が引き金に指を掛けて狙う姿が映りました。
「メイメイッ！」と再び叫んだ燕雲の悲鳴は、彼女を押さえ込んだ男達の野卑な笑い声に掻き消されました。
その時です。数条の空を切る音がしたと思うと男達の首に縄が巻き付き、彼らの身体が後ろに引き戻されたのです。
はっと燕雲がピンと張った４条の縄の伸びる先を見ると、草原に半身を起こした先行者がその両手で２条づつの投げ縄をつかんでいます。
こんな投げ縄を使えるのは・・・
「タンクロウ！」
燕雲が叫んだのと振り返った男達が自動小銃を構え直すのは同時でした。
その瞬間、中華バルカンの咆哮が轟き、男達の身体は四散しました。
初めて兵器としてのタンクロウの姿を目の当たりにし、真っ赤な肉片が音を立てて降ってくる中で立ち竦んだ燕雲でしたが、タンクロウが煙を噴きながら草原に倒れる姿を見るや、その名を呼びながら駆け寄りました。
既に下肢を失い中華バルカンの砲身は炸裂し、また摩耗しきったボディーでの射撃が決定的なダメージとなってタンクロウの両腕は縄をつかんだまま脱落して煙を噴いていました。
ショートして熱を放つ頭部の薄れたＣＣＤアイの視界に最優先認識パターンである少女の姿が映り、帰還活動が終了したことを知り、タンクロウは機能を停止しました。
すがりつく燕雲の泣き声や助かったメイメイの啼き声がその耳のマイクに聞こえることももうありません。
遥かな年月が経ち、李牧場で燕雲お婆ちゃんは大勢の子供や孫達に囲まれて最後の眠りにつこうとしていました。
窓辺にはピカピカに磨かれたタンクロウの上半身が置かれています。
既に製造中止モデルだった先行者の部品を手に入れるすべはなく、さらに規格外Ｂ級品の上に祖父の手により農機具としての改造を受けていたタンクロウを修繕することは不可能だったのです。
それでもただ一つ頑丈な動力部から伸びた歯車だけは回り続け、窓辺に置いたタンクロウの胸の歯車を村人達はタンクロウ時計と呼んで、毎日の時刻を知るよすがとしていたのです。
燕雲はそんなタンクロウをずっと毎日磨いては油を差してきました。
寝床の回りを囲んだ子や孫達を見回した燕雲お婆ちゃんは、窓へと視線を向けます。広い牧場に草を食む牛の群れが見えます。平和になり働きづめで手に入れた夢の大牧場です。そしてたくさんの牛達はメイメイの子孫でした。
最後に燕雲お婆ちゃんの目は窓辺に座るタンクロウの上で止まりました。
「タンクロウに油を」
それがお婆ちゃんの最期の言葉でした。タンクロウに顔を向けたまま目を閉じた燕雲お婆ちゃんの顔は子供のように笑って見えました。
その時、ガチッと音がしてタンクロウの歯車が止まりました。
何十年も動き続けてきたゼンマイが切れたのでした。
おしまい
同人サークル「瀬」
檸檬児
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2001-7-7