「お爺ちゃん、笑っているね」
「そうね。きっと楽しい想い出の夢を見ているのよ」
もはや、ここには戻れないものだと思っていた。
生まれ育ったこの館を私が後にしてからどれほどの時が経ったのだろう。
どうやって、ここに辿り着いたのかは覚えていない。
戻ってきた館の周囲は掃除が行き届き、荒廃の影すらない。白壁の窓ガラスはどれも澄みわたり、扉のノブの真鍮は顔が写るほどに金色に輝いている。
玄関の前に立ち、思い切ってノックすると館の奥から足音が近づいてくる。そして開いた扉の向こうにほたるが立っていた。
「お帰りなさいませ」
一瞬大きく目を見開いたほたるは、ゆっくりと頭を下げて私を館へと迎え入れる。
「ただいま、ほたる」
変わらぬほたるの姿に、私も驚く。
「２階のお部屋は昔のままです。そちらにまいりますか？ すぐお茶をお持ちいたします」
ロビーを通りながらほたるが尋ね、私はうなずく。
歩きながら見回したロビーの絨毯は清掃が行き届き、壁の鏡には曇り一つない。すべてほたるがこれまで守っていたのだ。
ただ一人でこの屋敷を守っていたほたるの日々の姿が心に浮かぶ。
目の前に後ろ姿を見せて２階への階段をほたるが昇ってゆく。それは記憶の中にあった見慣れた姿だった。
２階の天井まで届く大きな窓が踊り場にはあり、外光が逆光となってほたるの後ろ姿を浮かび上がらせる。
踊り場に達したほたるに私は声を掛ける。
「ありがとう、ほたる。これまでこの屋敷を守ってくれて」
ほたるが動きを止める。
「ほたる？」
ほたるが前を見つめたまま震えていた。私は彼女の背後に立ち肩に手を伸ばす。
「済まなかった。こんなに長く待たせてしまって」
肩に手が触れた途端、ほたるは思い掛けない勢いで振り返る。その大きな瞳で私を見上げる。
「シャルル様、会いたかったです・・・とてもお会いしたかったです！」
そう語るやいなや、ほたるは私の胸に身を投げる。そして、堰が切れたようにむせび泣き始める。
その泣声を聞きながら私は悟る。ほたるは何も変わっていなかったのだ。私はこんなに変わってしまったと言うのに。
「ほたるは相変わらず泣き虫だなあ」
胸で泣きじゃくるほたるの髪を撫でながら、私はささやく。
泣き虫ほたる・・・そう昔、幼い私は彼女をからかったことがあった。
今、胸の中で震えているのは何という小さな肩だ。ほたるはこんなに華奢な少女だったのだ。
「私も会いたかったよ、ほたるに」
遠い日に私の目の前から消え去ったほたる。両親は私に病気になって実家に戻ったと彼女のことを語った。真実を知ったのは私がもっと成長してからのことだった。
そうだ、ほたるはかって幼い私を守ってくれた。これからは私がほたるを守る番だ。
ほたるが悲しみの涙を浮かべることはもうないのだ。
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'2001-9-3