プロローグ
シンシアのこと
僕の名前はシャルル。シャルル＝ミラモンドっていうんだ。
彼女はシンシア。僕の従姉妹だ。僕より１つ上の12歳だ。
シンシアという名前はギリシャ神話の女神セレネの別名なのだそうだ。それにアルテミスとも呼ばれて、ローマ神話ではダイアナとも呼ばれていたと自慢している。
名前の自慢なんかしてもしょうがないのに。
シンシアは脚が少し不自由だ。あまり屋敷から出歩くことがないせいか、音楽や本が大好きだ。神話に興味を持っているのもそのせいかもしれない。
このシンシアの身の上に起こった奇妙なことの話をしよう。
シンシアは隣町の屋敷に住んでいて、身の回りの世話をするメイドの螢（ケイ）さんがついている。「螢」と言う字は「ホタル」とも読むと聞いた。
螢さんは13歳で僕のメイドのほたると名前もだけど顔もどことなく似ている。二人が並ぶと姉妹のようだ。
螢さんは元は良家の娘だったそうで親が事業に失敗してシンシアのお屋敷の住み込みのメイドになったと聞いている。けれど、詳しいことは分からない。
シンシアは性格がキツくてワガママで１つ年上の螢さんをよく虐めているそうだ。僕もシンシアにはよく虐められる。
でも、螢さんはシンシアを大好きだと以前僕に話してくれた。一緒に暮らしたら僕なんかとても耐えられないって思うのに、螢さんは凄い。
螢さんの家が裕福な頃は小さいころから音楽が大好きで、先生を呼んでギターを習っていたそうだ。
シンシアはよく螢さんにせがんでギターを弾かせる。螢さんの椅子の足元に置いたクッションがシンシアの特等席だ。
シンシアの家は音楽一家だ。お父さんは指揮者で世界中飛び回っていて普段はお屋敷にいない。一家を預かるお姉さんのシモーヌさんは自分のバンドを持っている。そんな一家の中でシンシアに演奏をせがまれるなんて、きっと螢さんの腕は凄いんだと思う。
前に遊びに行った時のことだけれど、螢さんのギターを聴いている時のシンシアはとてもおとなしくて優しい顔をしている。別人のようだ。僕もそんなシンシアにどきっとしてしまう。
シモーヌさんのこと
シンシアのお姉さんのシモーヌさんだ。幼い頃からヴァイオリンと声楽をやっていて、自分のバンドでもそれを担当している。ＣＤで聴いたけれど、とてもきれいなアルトだった。
シモーヌさんは家ではシンシアの為にヴァイオリンを弾いてあげたりするそうだ。やっぱりそんな時のシンシアは優しい顔をしているんだろうか。
シモーヌさんはヴァイオリンを弾くだけじゃなくて、自分で大きなバイクを乗り廻したりもしている。
シンシアのあこがれのお姉さんだ。
シモーヌさんはよくシンシアをバイクの後ろに乗せて行きたいところに連れていってくれる。僕の家にもシンシアはよくシモーヌさんに連れられて遊びに来る。
シモーヌさんがリアシートに乗せるのはシンシアだけだ。
ヴァイオリンを弾くシモーヌさんも素敵だけど、バイクの前のシモーヌさんはとてもカッコいい。同じ人とは思えない。
バイクから降りると、シモーヌさんはこうして乱れた長い髪を整える。そんな姿に僕はどきどきしてしまう。
でも、そんな時に限ってシンシアは僕を見ていて、シモーヌさんに見とれていたと言って怒る。
Maiden & Unicorn のこと
シモーヌさんのバンド「Maiden & Unicorn」だ。
本物のライブは子供には音が大き過ぎるからとシモーヌさんに止められている。シンシアも行きたいけれど、やっぱり許してくれないのだと言う。
だから２人共、ＣＤで演奏を聴くだけなのだ。
僕たちがライブに行けない本当の理由は子供には聴かせたくない歌詞をシャウトするバンドも参加しているからだと言うことを僕は知っている。シモーヌさんはとてもシンシアを気遣っているのだ。
バンド・リーダーとヴァイオリンはシモーヌさんだ。
シモーヌさんはケルトの伝統の研究をしていて、そこから触発されたケルトの世界を思わせる響きの曲を作曲・作詞しているのだ。バンドの精神的、音楽的リーダーだってシンシアが自慢していた。それにお金持ちなのでそっちの方でもバンドの面倒をみているのだと言う。
リードヴォーカルのレイフさん。
女の人達に人気があるのに妹のリエさんをとても大事にしていて他の女の人達には目もくれないそうだ。バイクにも乗っていてヤマハのチョーパー・カスタムだ。
とてもカッコいいバイクだけど、リアシートにはリエさん以外乗せたことがないのだそうだ。
まるでシンシアしか乗せないシモーヌさんみたいだ。
キーボードのルイスさん。
最初会った時には女の人かと間違えた。とても物静かな人だけど、ライブの時には何かが乗り移ったようなワイルドな演奏で皆を引っ張るってレイフさんが話していた。
昼間はシモーヌさんのお屋敷のコック兼パティシエとして働いている。
シンシアと一緒のお茶の時間にルイスさんが作ったケーキを食べたことがある。男の人が作ったケーキなのに凄くおいしくて、こんなのを毎日のお茶の時間に食べるシンシアが羨ましかった。
ギターのジェフさん。
レイフさんの昔からのお友達でジェニーさんという恋人がいるらしい。
会ったことはないけれど、レイフさんの話では派手な人でジェフさんはいつもジェニーさんに振り回されているらしい。
ジェニーさんのことで、レイフさんはよくジェフさんの相談を受けるそうだ。
シンシアはすぐ僕をかまったり虐めたりするけれど、僕は誰に相談すればいいんだろう。やっぱり、ほたるかなぁ。
ドラムスのクルスさんは、ちょっと見掛けが怖い。身体も凄く鍛えていて、ＣＤでもサウンドがパワフルだ
でも話してみると優しい人だった。
以前はルイスさんと仲が悪かったらしいのだけど、いろいろあって今ではルイスさんを凄く信頼しているんだそうだ。
お出かけ
今日はシンシアの家に泊まりがけのお出かけだ。
僕は新しい服を今着替え終わって迎えの車が着くのを待っていた。
ほたるは着付けを手伝い終わっても椅子の背に寄り掛かって僕を見ている。
「ほたる、嬉しそうだね」
「ぼっちゃまがカッコいいからです。とてもお似合いですよ」
僕は下を向いて話題を変た。頬が紅くなっていることが自分で分かる。こんな顔をほたるに見られる訳にいかない。
ほたるは時々、どきっとすることを直球で言う。
「僕、シンシアって苦手なんだ。意地悪で」
「あら、シンシア様はぼっちゃまがお気に入りのようですよ。ぼっちゃまがお泊まりにゆく時の為に、同じ柄のパジャマを揃えてとお願いしたのはシンシア様ですよ」
「あれって恥かしいんだ、女の子とお揃いなんて。それにシンシアってすぐ姉さんぶるし。新しい服を買っては僕に着せたがるんだ。きっと僕を着せ替え人形か何かと思ってるんだ」
「でも、ぼっちゃまも嬉しそうです」
「ほたる！」
「はい」
「ほたるも着替えるんだろ、一緒に行くんだから。もう用意したら」
「はい」
ほたるはクスクス笑いながらメイド部屋へと去って行った。まだ車が来るまでには30分近くあったけれど。
シンシアの家で家族への挨拶も終わって、僕たちは泊まる部屋に通された。
「シンシア様も嬉しそうでしたね」
「うん、夕方にはシモーヌさんも戻ってくるし、一緒に遊ぶ約束をしてるんだ」
僕の帽子と上着を脱がせながら、ほたるが尋ねる。
「レイフさんもお見えになるのでしょう？」
「リエさんと一緒に来るんだって。前に来た時にバイクの後ろに乗せてもらう約束をしてたんだ。今日は乗せてくれるかなあ」
でも知っている。レイフさんはバイクのリアシートに妹のリエさん以外乗せないんだ。そのことを知っているほたるは、むずかしそうな表情を浮かべた。
「そうなるといいですね」
「僕もバイクに早く乗れるようになりたいなあ。僕が大きくなったらバイクや車でシンシアをどこにでも連れてってあげるのに」
「そうですね」
「じゃ、ちょっとシンシアんとこ行ってくるね」
僕は部屋を飛びだした。後ろで脱いだ上着を畳みながらほたるが見送っていた。
シンシアの語り
従兄弟のシャルルが遊びに来た。
メイドのほたるさんと一緒の泊まりがけだ。
ほたるさんは私のメイドの螢に感じが似ているけれどずっと落ち着いた人だ。シャルルもこのほたるさんには頭が上がらないらしい。
うちの螢は私より１つ年上の１３歳だけど、成長したらあんなふうな女性になるのかな。
シモーヌ姉さんは今日もレイフさん達と一緒にバンドの練習で遅くなると電話があった。練習が終わるとバンドのみんなでこの家に遊びに来ることがよくある。
シャルルはかっこいいレイフさんに憧れている。だから今日会えるかもしれないと楽しみにしている。
レイフさんってクールで危険な感じで私は苦手なんだけど、実は妹のリエさんを溺愛しているんだそうだ。
こんな相関図をリリアンさんに聞かせたらどんな同人誌（ほん）を書かれてしまうのかしら。
この前、姉さんの部屋にあったリリアンさんが作ったマンガ本を読んでいたら、姉さんに慌てて取り上げられてしまった。途中までしか読まなかったけれど、スゴかったな。
夜も10時になってもう子供は寝る時間だけれど姉さんはまだ帰ってこない。
その時にドアがノックされて、ほたるさんが顔を出す。
シャルルが持ってきたヌイグルミと私のを見せ合いっこしたいのだと言う。
ほたるさんと螢がお話していて私とシャルルの二人とも寝る時にはヌイグルミと一緒だということが分かったので、二人でくらべっこしよう言うのだ。
シモーヌ姉さんの帰りが遅いので私がつまらなそうにしていることに気を使ってくれたのだろうか。シャルルもレイフさんに会えなくて期待外れだったみたいだし。
子供のくせにこんなことを勘ぐってしまう自分が時々いやになる。身体が不自由なせいにはしたくないのだけれど。
シャルルがヌイグルミを抱きしめておずおずと部屋に入ってくる。
私と同じ柄のパジャマだ。いたずらっ気を起こして私と一緒にベッドに座ってもらう。もうコチコチになっている様子が可愛い。こうしているとなんか姉弟みたいだ。
シャルルは私のヌイグルミをいい香りだと褒めてくれた。ミラモンドお爺様にプレゼントされたラベンダーのポプリ入りで私も気に入っている。顔もとぼけた熊さんみたいで見飽きない。いつも部屋で抱きしめているので、私の匂いになっているかもしれない。
シャルルのヌイグルミは猫さんだ。虫みたいな足がついていてネコムシというのだそうだ。男の子の趣味は分からないけれど、これは可愛いと思う。
おしゃべりしているとシャルルも緊張が解けてきて楽しく盛り上がってきた。
ほたるさんと螢は部屋の隅で小声で語り合いながら私達を見守っている。
シモーヌ姉さんは寝るまでに帰ってこないかもしれないけれど、シャルルのおかげで今夜は楽しく眠れそうだ。
目次へ戻る
'2005-9-24